
「労働」は、西洋人にとっては、苦しい嫌なことだが、日本人には、楽しいおもしろい行動であるといわれています。
それほど単純ではないでしょうが、一面の真理があります。西洋における労働の歴史は、奴隷、農奴、そして産業革命が生み出した搾取、それに対抗する労働組合と共産主義ということで、日本の歴史とは全く異なっています。
日本には、苦役、懲役はありましたが、奴隷はほとんど存在していませんし、古代、中世、近世を通して、農民の暮らしは惨めなものではあっても、他人に所有され、一切の自由がないというわけではありませんでした。
また、近代化による搾取も、女工哀史は無視できなくても、労働者が権利をすべて奪われ、飢餓に瀕し続けることはなかったでしょう。ですから、西洋から輸入された制度である、労働組合や社会主義はうまく発展できなかったわけです。むしろ、このような日本の歴史と特殊性を理解せず、観念にふりまわされて、日本の安定や健全な発展をさまたげたことは反省されてしかるべきでしょう。
もともと農耕民で漁民である日本人にとって、自然の中で働くことは、苦しくはあっても、天に与えられたものを収穫する喜びでもあったはずです。
その伝統が、日本が近代化され、世界屈指の工業国になっても、働くこと、つまり労働の中に生きているわけです。

そのように考えますと、西洋流の観念を輸入して、働いて、お金をためて、引退して、遊んで暮らす、ということが、日本人の価値観や生活態度から、いかにかけ離れているかわかります。
そもそも、生物はみな、生きている限り働いています。それが自然であるわけで、定年とか、なんとか理屈をつけて、働きの場から追い出そうというのはおかしいです。
もちろん、日本にも隠居というような言葉はありました。これは、若くなければ出来ないような仕事からは引退するが、社会の現場から、追い出されてしまうということではありません。
横丁の隠居はいつもそこらにいて、ご意見をのたまいます。農村などでは年寄りは、子守や軽労働の主役です。生涯現役はあたりまえの話で、そのような言葉があるのがおかしいです。
「生涯生きている」は、「馬から落馬です」と言っているようなもので、まず、私たちは、年配者は働かないとか、仕事の世界に定年があるという観念をなくしていきたいです。
しかし、いままで、一生懸命働いてきて、やっと楽ができるかとおもったら、まだ働かないといけないのか、と慨嘆される方もいらっしゃるでしょう。それは違います。まず、楽ができるのです。また、働かなくてはいけないわけではまったくありません。
人生のファーストハーフは、学校に行って教育を受け、社会に出て、働かなければならないのです。それは、国のため、社会のため、家族のため、そして自分自身の経験、知識、と交友の蓄積のため、働かないと、周りからも認められませんし、自分でも成長できないからです。
しかし、セカンドハーフは違います。もうだれのためでもない、自分が人生から、充足感を得るため、ほんとうにやりたいことをやるわけです。それは人生の最高の楽しみにつながります。また、そのようなことをしていないと、落ち込んでしまい、家族と揉めてしまい、酒や無用の快楽におぼれて、健康まで害し、なんの楽しみもない人生で終わってしまいます。
ファーストハーフの仕事が「必要悪」なら、セカンドハーフの仕事は、人生のために必要な楽しみ、つまり「必要楽」です。働かなければならないわけでは決してなく、自分が働きたいから働くのです。なぜ働いているのですか、と問われたら、お金のためでもなく、出世のためでもない、「自分が楽しいからです」と言えるのが、これからの働き方です。
多くの場合、働くと家族は喜びます。面倒を見なくてよいし、収入になるからです。
国のためにもなります。厄介にならず、税金まで納めるからです。
よいことずくめの高年者労働ですが、そうは行かないだろう、ほんとうに、やりたい仕事にありつけるのかな、やってみたら、うまくできずに、ひどい目にあって、寿命が縮まるのではないかな、というご質問もおありでしょう。
それには次回以降、順をおってお答えいたします。
ラサール高校、一橋大学経済学部卒業
非エリート、転職歴4回、出向歴2回、創業歴1回。