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 dragonさんの日記
2010/02/07
(日) 13:32
山猫軒での小さなお話し
来年は結婚して○十周年になると、連れがふと言った。ずいぶん昔のことになる。そうか、来年は記念すべき○十周年になるのか。新婚旅行をした道を辿る記念の旅行を計画せねばなるまい。前の年になる今年はその予行演習をしようか。あの当時旅行代理店に旅先に北海道の焼尻島の手配を依頼したら、代理店のスタッフがびっくりしていた。今でもそうだが、こんなところへ新婚旅行で行くなんて、なかなかいないそうだ。でも一生の一度の記念すべき旅行に誰でも行くような名がしれたところに行くのはつまらない。どうせなら、だれも行かない離れたところがいい。ここは当時から国定公園に指定され、隣の天売島は何万羽という海鳥が生息していることで有名だった。今では島に渡る船の港がある羽幌の炭鉱は廃坑し、札幌から羽幌に行く鉄道も廃線している。羽幌で一泊して、翌朝船で焼尻に渡ったっけ。島の港近くにある一軒か二軒しかない旅館に泊まった。小さな島で、一周してもそれほどのことはない。旅行客も少ない。原生林が茂っており、森をくぐり抜けて島の中央の頂きに登ると、緑の匂いたつ草原が広がった。途中だれも行き合わず、我々だけでこの楽園を独占しているようだった。頂きから、青い海原がまぶしく見渡せる。6月の爽やかな風が吹き抜ける草叢に並んで寝転んだ。好もしく想い合っている同志が傍らにいると、温かい空気にまるでオーラのように包まれているような気がするのはどうしてだろう。空に浮かぶ白い雲がゆるやかに流れるのをいつまで眺めていた。この瞬間に時計の針が止まり、それが永遠につづけばいいのにと思ったことだった。

島には2日間滞在した。羽幌にいく前に札幌のグランドホテルに泊まった。ライラックの美しい季節だった。そして新婚旅行を終えて、初々しい生活を7ヶ月過ごしたのは阿佐ヶ谷のアパートだった。7ヶ月と短かったのは、すぐに海外赴任となり、連れは鹿児島の奥山の実家へ帰り、そこで長男を産んだ。暮らしたのは短くても、最初に新居を構えたところは思い出が深い。その阿佐ヶ谷にはずいぶん行っていない。予行演習の予行ということで久しぶりに阿佐ヶ谷をおとずれてみようか・・・ということで JR線の阿佐ヶ谷駅へ向かった。着いたのがちょうどお昼時、駅北口から歩いて3-4分のところにある山猫軒という名前のレストランでお昼をとった。いつも予約で満席の店だというが、時間が早かったのですぐに席につけた。
写真1 ラピュタの建物


もう50代の終わりが近づいている。顔艶はよく、黒い髪の毛には白髪は一本も混じっていない。まだまだ若い。でも、3年ほどまえに亭主が突然の脳梗塞で亡くなった。あっというまのできごとだった。亡くなった当初は、それが信じられなかった。毎晩、8時ごろの夕飯時になると、会社から戻った亭主が玄関ドアを開けて、ただいまと帰ってきそうな気がしてならなかった。時がたち、ようやく、感情を心の奥底に押込め、伴侶がいなくなった事実を受け入れられるようになった。事実を否定していたのが、諦めの感情に移り、そして最近ではようやく前向きに考えられるようになり、生活に張りが少しでてくるようになった。亭主が亡くなる1年前に一人娘が結婚し、晴れ姿を二人して祝うことができたのが今思うと慰めである。

今日はわたしの誕生日。娘夫婦がそれを祝って、フレンチ・レストランのランチに招いてくれた。阿佐ヶ谷にある山猫軒という名前のレストランだ。天空のラピュタという、あのアニメにでてくるような奇妙なお城のような形をした幻想的な建物にある。山猫はトトロに出てくる山猫だろうか、宮沢賢治の童話に出てくる山猫だろうか。廃材を使ったような建築でロマンチックな香りがする。10年前の建物だというのに、もう30-40年も昔からあるような古びて主のような建物だ。そこにこのレストランがある。コテコテのフレンチでなく、優しい天然素材と産地直送の有機野菜を使ったシンプルな料理で有名らしい。

約束の1時にちょうどラピュタに到着した。娘夫婦も時間通りやってきた。3人して2階のレストランのドアをくぐる。スタッフが出てきて、お席は3階のテーブルにとってあるという。ここは2階がオープンキッチンのホールで、木の階段を登って吹き抜けの3階へつづいている。屋外の丸い外壁に沿った螺旋階段でも行ける。厚みのあるしっかりした枕木のような材質の階段が緩やかにつづく。2階より3階の方が雰囲気がいいと言うその3階に席が用意してあるという。板敷きの3階は屋内にテーブル席が5つ、テラスには三つあった。屋内に配置された、予約カードが置いてあるテーブル席へ案内される。テーブルには大きなお皿とカトラリーが三人前セットされていた。そしてお皿の横に花束がおいてあった。きれいなバラのブーケで芳しい香りがする。娘でなく、婿が用意したものらしい。見ると、花束の隣に大きな紙の包みが置いてある。二人からのプレゼントだという。どうぞと言われ、さっそく、包みを開いてみる。なんだろう、わくわくするのは久しぶりだ。包みを開けると、わたしの大好きな薄グレー色の上っ張りだ。嬉しさで顔が崩れる。娘がそれを見て感嘆の声を挙げた。自分の連れの方を向いて「母がグレー色が大好きだというのを知っていたのね」という。してみると、このプレゼントも娘が見繕ったのでなく、婿が見繕ったのだ。身体に当ててみる・・・とても似合う。お気に入りになるだろう。素敵なプレゼントだ。ありがとう、気の利く婿さん。


隣のテーブルに座った若いカップルと母親の三人組を眺めながら、勝手に推理をして楽しんでいる。推理しているのは母親のご主人のことだけで、そのほかの点は脚色していない。娘は母親そっくりの美人だ。晴れの席に母親一人で父親が参加していないのが気になった。都合が悪くて一人しか来れなかったのかもしれない。でも今日はウイークエンドで、しかも誕生記念日だというのに、参加していないのはいぶかしい。どうやら連れはいなさそうだと判じた。それで勝手に上のように夢想した。彼ら3人がテーブルにやってくる前に、レストランのスタッフがテーブルに花束と贈りものの包みをセットしていた。訊くと、前日男性がわざわざ花束と贈りものを持参してきて、テーブルにセットして欲しいと頼まれたそうだ。ずいぶん以前から周到に計画したようで、予約もかなり前に入った。贈りものと花束は当日まで内緒にしてくれと依頼があった。サプライズにしたいらしい。こうまで用意周到にプランするお客は珍しいとスタッフは感心していた。嫁さんにも内緒にしたのかもしれない。義理の母親だけでなく、娘にとっても感激させたかったのかもしれない。

写真2 屋内からテラスの方を見る


さて、ランチメニューはコースが1800円、2800円、3800円と三つある。われわれも○十周年結婚記念の予行演習なので、今日くらい散財しても構わないのではなかろうか。一番上のシェフおまかせコースをとった。オードヴルの盛り合わせ、二皿目が目鯛のポワレ、三皿目がフォアグラを載せた牛フィレのロッシーニ、そして、デザートはブリュレ、最後はエスプレッソのダブルで締めくくる。どの皿もたっぷりの無農薬野菜が使われ、女性好みの仕立てになっている。あまりくどいソースは使われていない。バター系でなくオリーヴオイル系で調理してあるので、あっさりしている。バゲットと丸いパンがおかわり自由でついてくる。小さな器にオリーヴオイルが入れてあり、パンはそれをつけて食べる。値段にしては、グッド・パフォーマンスである。次の写真は最初のオードヴル盛り合わせである。プロシュートをコルネットのように三角錐に野菜を巻いてある演出が珍しい。

写真3 オードヴルの盛り合わせ


雰囲気のある山猫軒で食事を楽しんで、外に出る。住んでいたアパートのあった一角付近へ行く。建物はもうとっくに建てかえられているだろうから、面影は道幅が狭く、家と家が密集して狭く立て込んだ街並みにしか残っていない。でもこの周辺はずいぶんアパートが多い。今でも若いカップルの人たちや独身者が多いのだろうか。背の高いマンションやビルはすくないので、空が広々と見える。うろうろして、歩きまわったが、ここが住んでいた場所だと言うところはついに見つからなかった。それでも二人して歩きながら、当時まだ若かったころのことがまるで昨日のことのように浮かび上がって、それを楽しんだ。

いい散策の一日だった。








 コメント
2010/02/07
(日) 20:56
5. dragon
おとひめさん、

毎回訪問感謝します。

18年とは短い歳月でしたね。短い分、記憶は濃密に凝縮され、水晶のようにキラキラ輝いていることでしょう。当方、○十年と連れ添う幸運に恵まれ、感謝するばかりです。

そうそう、山猫軒に寄ったら、駅反対の南口にアーケードの商店街があります。このアーケードの始まる右手に「鉢の木」という和菓子屋さんがあります。この和菓子屋さんはもう50年くらいの老舗です。今の季節、道明寺や桜餅が旬です。それにここの最中も美味しい一品です。使っている材料がいいので、食べた後甘みが口の中に残らず、すっと溶けてなくなります。ぜひお試しください。

2010/02/07
(日) 21:19
6. dragon
まるがれったさん、

札幌から鉄道で羽幌までいきました。時間がどのくらいかかったのかもう忘れましたが、そして行きだったのか、帰りだったのか今となっては定かではありませんが、その列車のなかでぐうぜん新婚カップルが前の席に座りました。その新婚カップルの会話がまるで昨日会ったアカの他人に話すかのように、お互いかしこまり、話しあっていたのが強烈な印象として残っています。後で、二人してくすくす笑ってしまいました。もう数十年昔のことです。いまごろあの夫婦はどういう会話の仕方をしているのだろうかと、興味津々です。

まるがれったさんの父上は素晴らしいユーモアーのある方ですね。恵まれましたね。
2010/02/07
(日) 21:34
7. HMargaret
dragonさん

かしこまっていらした新婚さんはどうしているのでしょうね。もう卒婚してしまったのでしょうか?

最近は結婚生活も卒業するそうです。

父はおもしろい人だったかもしれません。遺言に「デスマスクはつくらないでいい」というのもありました。
2010/02/08
(月) 08:33
8. dragon
まるがれったさん、

卒婚とか婚活とか、最近は数多くの短縮言語が世の中を徘徊していますね。こういう徘徊語あまりいい感じがしないのはわたしだけで、それは世代の違いからくるのでしょうか。でも離婚という言葉より卒婚という言葉のほうがあっさりしていて、暗いイメージがありませんね。

離婚に関連する話しですが、昔まだアパルトヘイトが盛んな南アフリカへ何度も出張したことがありました。人口1800万ほどの国の中でたった400万人にも満たない白人が支配する白人完全優位の社会でした。現実にその社会の実態を直接目の前に見せつけられ、衝撃を受けました。記憶は確かでありませんが、当時白人の離婚率は25%とかそういう猛烈に高い率でした。やはり社会のモラルが崩れているとそういう現象が起こるのだなと、当時まだ健全であった日本の社会と比べて、観察していました。その南アフリカもまともな国になり、社会モラルも回復しています。数年前のデータですが、南アフリカの離婚率は0.85%と世界49位に落ちています。一方日本の離婚率は2.3%と世界22位に躍進しています。この日本の離婚率は2002年のデータですから、最近はさらに上がっているのでしょう。こういう数字はあまり上昇せず、出生率が上がるといいのにと思うこの頃です。
2010/02/08
(月) 20:57
9. HMargaret
卒婚や婚活という流行語はこの殺伐とした拝金主義の世の中を反映しているような気がしてなりません。年金とか、夫の収入というのがいまだに大きい意味を持っているところが感じられます。と、いう私も縁と機会があるなら、「山の歯医者さん」の後妻にでもおさまって、何も働かなくていい毎日を暮らしたいなどと都合のいいことを考えて十数年。たとえその「地位」に納まったとしても、そのうちに退屈しきって、歯医者の合併と経営の向上とか、山中へのiPhoneのハブステーションの建設などをゴールドマンあたりと考えるのかもしれませんが….

卒婚と離婚というのも言葉の差ぐらいでしょうか….divorceというかseparateというかの違いぐらいかとも思います。究極は「徹底的には縁を切らない」というところにあるのではないですか?まあ、マイルドな離婚と考えるか、家庭内離婚みたいなものなのかもしれません。何度も家庭内離婚と家庭内再婚を繰り返している夫婦っているのではないですか?

南アの離婚は25%でしたか....昔から難しい国ですね。今も経済の発展だけが突出してしまった社会のひずみや貧富の差、本音と建前が入り混じった難しさを感じます。あのズマ大統領も.マンデラさんとくらべることはしてはいけないのかもしれません。治安もものすごく悪く、ワールドカップも治安の関係上、日本からは女性のレポーターはいかないのだとか….テレビ番組の南アレポートでは職業をきくと堂々とStealingという人さえいます。Steelingならわかりますが、日本で職業欄に「窃盗」と書く人がいるでしょうか….

南ア出身の友達(通称:アフリカのおじさん)は先祖がドイツから移住してきて9世になるのだとか….完璧に白人です。私は彼のDNA構造がそもそも理解できません。9世代もアフリカにいて、一人の黒人家族も迎えないのは不可解でした。「あなたのお国の人は、異人種に得もいえぬ魅力とか、そういうものは感じないんですか?」とものすごくきいてみたいのですが、おじさんが「建前以外は口にできない立場」にあることを考え、いまだに実行していません….任期終了のときにはばっさりと「南アの本音」を聞いてみようかと思っています。

仮定の話にすぎませんが、私がアフリカに移住して、9世代あとはどうなったかといえば、「先祖は日本人だったらしい」と完全に黒人の子孫が語っているような図式しか想像できません。

異人種間の結婚が禁じられていた南アでは、白人同士も「選択の余地のなさ」などで離婚が多発したのかもしれません。もちろん白人社会と黒人社会との対立、貧困白人層の増加などによるモラル低下などの要因もあって安易な家庭破壊は加速したのでしょう。文化構造もあるのではないですか?イタリア人の、それもたった2ヶ月で妻に三行半を突きつけられた友達からのコメントによると、「白人の夫婦はいつも一緒に行動しなければならない」独特の社会行動パターンがあるそうです。この文化がいけない….いつも二人でいたら確実に飽きます。その文化を引きずっていったゆえ、移民先でも「冷めたら離婚」しか道がなかったのかもしれません。日本はこの文化がないので救われていますね。

11月ごろに東大の授業で南アの経済について取り上げたことがありました。ランドの投資価値などについて考えたのですが、アフリカ中近東にあっては、明らかにEmerging Marketからははずれています。南アはITの発展に不可欠なprecious metalの埋蔵もあり、これからも発展が期待され、それによってアフリカ全土を牽引していく役割が課せられることでしょう。温暖な気候などを活かした観光資源もすばらしいのですが、あの治安を考えるとまだ本格的な投資やopen Airの課題には値しないようには思えます。

まだまだ発展途上の国ではありますが、とりあえず国家全体と家庭内が落ち着いたことだけは「よかった」です。しかしながら、いまだに白人同士、黒人同士でのツーカーの仲というのは非常に強くいきており、この壁がなくならない限りは本当のアパルトヘイトは終らないと思います。
2010/02/09
(火) 13:03
10. dragon
まるがれったさん、

どういう題材でもインサイダー的に反応してくるまるがれったさんに感嘆の声を上げています。

南アフリカでは英国人、オランダ人そしてユダヤ系が昔から権力を握ってきました。インド人、中国人そしてもちろん黒人は人間でない扱いを受けていました。入国カードでは人種をチェック項目がありました。当時日本人は例外的に名誉白人に分類され、ヨーロッパ人の項をチェックしました。でも、外見からは日本人も他のアジア人も区別がつかないので、入国管理のパスポート審査の列では最後の白人の審査が終わるまで、そばで待たされる嫌がらせを受けました。差別をする立場になると優越感を感じ、逆の立場に立たされるといやーな感情が湧き立つのを抑えられませんでした。南アフリカ国内のフライトもシートアサイメントは搭乗すると、黒人たちの固まったブロックに押し込まれ、初めて差別されたことがわかりました。

もし英国人やオランダ人でなく、ローマ人が南アフリカに進出していたとしたら、南アフリカの歴史は明らかにちがったものに発展していたに違いないと思います。ローマ人の寛容性が違う人種も違う文化も違う神も全部一緒くたに包み込み、許して、同じ待遇を与えていただろうからです。

そのイタリア人も、国教にキリスト教を選んでからは、違ってきました。多神教から一神教に移り、排他的観点が入ってくると、寛容性はなくなります。現在のイタリアはそれでも他のヨーロッパに比べると、ずいぶん人種差別の感覚が低く、黒人に対しても全く差別感をもっていないようでした。そのイタリア人にして、ユダヤ人だけにたいしては、異様な生理的嫌悪感を持っていたのは衝撃をうけました。

なかなか、違うことを乗り越えると言うことは難しいですね。
2010/02/15
(月) 17:18
11. HMargaret
私の反応は当たり障りのない外交的なコメントではないかと本人は思っています。

南アフリカで日本人が名誉白人などというわけのわかんない分類を作ってもらえたのは、精密機器、自動車産業などが南アの経済に恩恵をもたらしたということが起因しているのではないですか。ビジネスの上では優遇されていたとしても、別の部分ではやはりカラードだったのでしょうね。あちらに言わせると、アパルトヘイトは「差別」ではなく「分離政策」だというのですが、なんともいえません。いやがりますね、アパルトヘイトのことを聞かれるのは。

南アは経済発展が著しく、昔ローデシアと呼ばれていた地域やモザンビークなどを含めた周辺5カ国の関税などのコントロールもしていて、それぞれのお国に均等にお金の流通ができるような政策をとっているようです。国家の人口の比率も若年層がとても多く、日本とは反対の人口構成になっているので、きっともっと成長してアフリカ全土を牽引していくようになるのでしょうけれど….

イタリア人は、人様の種類とか文化にはあまり頓着がなく、それゆえ、エチオピアはカルチャーを維持できたのではないですか?大して干渉していなかったような気がします。その反対に、英国などはきびしい階級社会があったので、「分離」などという美辞麗句に包まれたはげしい差別階級を作ったのではないでしょうか。

イタリア人はユダヤ人と同じように、スラブ人も嫌うのではないですか。スラブ系、特に海を挟んだクロアチアやイタリアとクロアチアの国境に近いトリエステのあたりの人たちには偏見があるようにも思えました。

ミラノで、私の知人がトリエステ出身のスラブ系イタリア人だということを知ったときに、当時転がり込んでいた伯爵家の家族やその取り巻きたちの顔色がさっと変ったことがありました。みんな「スラブ系は大柄で凶暴なのよね….」などという、高等教育を受けたとは思えないほどのコメントが出ていました。人種分類だけでそういう判断をするのは意味不明です。

そういえば、ハンガリーでも、ブダペストからやや離れたセンテンドレにはクロアチア人の村があり、その人々は今でもマジャール語ではないスラブ系の言語を話し、マジャール語はどちらかといえばあまり上手ではありませんでした。宗教もオートドックスで、教会も全く異質であり、一線を画していました。

私はダイバーシティというのはヨーロッパ、特に中部ヨーロッパから出たのではないかと思います。トルコなどに侵略され、混血が進んだ地域では持っている文化がそれぞれに異質であり、ユダヤ系も多いので、職場だけでも建前として異文化を理解して、うまくやって収益につなげていこうと考えたのではないでしょうか….それとも「大儀」を理解できないアメリカのいいわけでしょうか。
2010/02/17
(水) 20:12
12. dragon
まるがれったさん、

コメントありがとうございました。ほかにアテンドすることがあり、反応が遅くなりました。

人間の人間たる能力のひとつに区別することと比較することがあります。対象が事物であればいいのですが、人間が対象になるとそれが差別に発展します。そのため、「人間は平等」という観念が崩れてしまう原因となります。人間を対象に比較することは優越感と劣等感を生じさせ、その生理的感情は好もしいものではありません。隣の人と比較しない、境遇を比較しない、給料を比較しない、人と人とを比較しない、そうではなく比較するなら自分の現在と過去・未来、現在の境遇と将来の希望・志とを比較し、克己勉励の糧とし、切磋琢磨のはげみとするのがいいと思うのです。

残念ながら、人間は思想や観念で生きているわけでないので、どうしても自分の身の回りの人と自分を比較しがちな弱さを持っています。そしてどこの国にいっても大なり小なり特定の人を槍玉にあげ、差別の対象とする傾向から免れないようです。日本も例外でありません。

ただ、南アフリカの場合、この差別を法律制度に仕立て上げたことと、大胆にも人種をヨーロッパ人、黒人、アジア人、カラード(混血)に分け、隔離差別したその極端さに特異点があります。もともと人間は区別さえしなければ、差別の感情はわきません。昔のインドも、あのようにカースト階級を区別したのは英国人がやってきて行ったことです。それまではカースト間でそれほど優劣差別の感情は強くなかったといわれていますが、はっきり区別されて以来、インドではカースト階級の優劣差別が激しくなったといわれています。南アフリカでは明確な法律制度でこの区別をしたため、平等感を持つ事自体が法律違反となる事態が発生しました。その環境に入っている人間にとっては平等感や平等意識を持つ事自体ができなかったのです。だから他国の人から責められても、法律違反はできなかったことと思います。

黒人・アジア人・カラードを一把一絡げでヨーロッパ人から隔離差別するのですから、理知的・科学的根拠もへったくれもありません。日本人はヨーロッパ人に分類され、中国人は大使といえども黒人と同じ待遇をうけました。まるがれったさんは純粋なアラブ人を知っていますか。北アフリカにいるアフリカ系のアラブ人でなく、サウジやクエイトの純粋アラブ人にはびっくりすることに金髪で青い目をした白い肌の人も多かったのを目の当たりにしました。ユダヤ人も外観は白人と同じ人も多いので、びっくりすることはないのかもしれませんね。いずれにしろ、南アフリカに入るとこの人達もヨーロッパ人に分類されたのでしょう。

数年間にわたって南アフリカに出入りした者にとって、今振り返れば、ああいう環境の国に生まれつかなかったことに感謝するとともに、人間を比較対象としないように、ともすれば弱さを持つ自身を自戒するばかりです。
2010/02/21
(日) 15:48
13. HMargaret
比較しないということほど、人間にとって難しいことはないかもしれません。比較しないでわが道を歩むほど、難しいことはありません。「あの人は○○だから」というExcuseがでがちな私たち….

特定の人を槍玉にあげて、自分の優越感を満足させる。地位や役職を利用して、自分が得たいものをもってこさせるということは、やさしいことです。企業のトップも、業績が上がらないといっては、仕事の無理難題を押し付け、出来ないといえば、ぼこぼこになるまでいやみをいい、強い言葉で脅し、スタッフが壊れてしまえば責任も何もとらず、にげる。もっともやさしい生き方です。

南アの白人は人がもっとも安易である差別を選んでしまったのでしょう。また、大多数の黒人が台頭してくることを恐れたために、法律として制度化し、社会的に押さえつけることとしたのでしょう。もし、私が差別感情をもつとすれば、その程度の制度しか作れなかった白人移民と彼らがうけた教育のレベルの低さに強い嫌悪感を抱きます。

怪我をしたら、白人も黒人も黄色人もみな赤い血がでます。シェイクスピアではないですが、バラをみれば誰もが美しいと思い、心が動くものです。人が神様のもとに平等に作られたということはだれにも変えることは出来ません。

たしかに世界中の色々な人と付き合うときには、その習慣や宗教の違いゆえに気をつかったり、勉強することが必要となります。ですが、それらは「神様が決めたこと以外の後付」であって、友情が芽生えたことによっていつの間にか超越していることはよくあることです。法律によってそういう機会まで奪ってしまったことは国家としての大きな過ちであり、損害です。

北アフリカを拠点とする純粋なアラブ人はブラックアフリカの人とは全く違い、むしろヨーロッパ的で、本人たちもその白い肌ゆえか、地中海人としての意識があるように思えました。家族の親友だったチュニジア人の写真を10月5日に掲載しました。となりのニカラグア人、反対隣のパキスタン人、そのとなりのドイツ人と比べても、真っ白です。

ご存知のことと思いますが、意外に外交のプロトコールはシンプルで、それでいて差別には徹底的に対応しています。大使の着席順などは、すべて「その国に着任した順番」となります。けっして強い国順ではありません。皇室の行事などに、妙にアフリカ人が目立つのはそのためです。ジブチの大使などある人は15年以上駐在していらしたので、必然的に順位が早くなります。

歌詞にもよく歌われていますが、南アに生まれなくてよかった....という人はたくさんいます。私もその一人です。ただ、南アの現実としては、白人もまた隔離政策ゆえに苦労し、それゆえに失職し、家庭不和もあり….といった状況です。かばうわけではないですが、それが事実です。また、肌の色よりも文化が近いということゆえ、(と、前置きしますが)白人同士のほうが仲良くなる傾向があることもまた事実です。

日本の社会は終身雇用が壊れました。それによって、新しい人も途中からどんどん入ってくる社会になりました。そんな時代だからこそ、人の本質を見て、信頼関係を築く社会作り、偏見のない社会作りにもちこめる意識作りが大切だと思います。

南アが変るきっかけをつくったような人、マンデラ大統領のような人は日本にはいなのでしょうか…..
2010/02/23
(火) 13:53
14. dragon
まるがれったさん、

自分と他人を比較しないということはその意識を持たなければ確かに難しいのですが、信条さえ持てばそれほど難しいことではないかもしれません。信条は美学からきます。あとは訓練の問題です。人と比べることが他人に不快を与えることなく、また自分自身にとってためになるのであれば、どうどうと比較すればいいと思います。ただ残念なことに世の中一般に見かける他人との比較はネガティヴな要素をもっていることを否定できません。往々にしてネガティヴなことは好ましい印象を与えません。ときとして醜い様を表し、その人の人柄にまで影響を与えます。

昨日税務署に申告書を提出に行ってきました。寒い風が吹く日でしたが、お天気に恵まれ、朝早くにもかかわらず長蛇の列が屋外まで続いていました。見渡したところ、ちらほら若い人も混じっていましたが、ほとんどは老年配者が占めていました。わたしの後ろに並んだ老人はその後に並んだこれまた年輩である人を捕まえて、長蛇の列に不満を鳴らして共感を求めていました。それでも不満を解消できず、こんどは吐けさきを求めて列近くにいた税務所の係員にどうして今日はこんなに行列がすごいんだと不満やるかたない口調で質問していました。こんなに混んでいるのなら別の日にくれば良かったとこぼしました。係の人だってそんなことを言われても、迷惑至極の話しで、お天気がいいからでしょうねと当たり障りの無い答えをしていました。そのうちに件の老人は今度は先程話しかけた年配者たちに向かって税金の不満を漏らし始めました。それに答えるように不満の声が沸き上がり、ひとしきり騒がしい合唱となりました。その合唱を背中で聞きながら、老人になるとどうしてこんなに繰り言が多くなるのだろうと思ったことでした。

文句、不満を口にするくらいなら、黙ってその不満を解消する努力をすればいい、どのみち不満を解消できないなら、はじめから文句や不満を口にしないほうがいい、不満のための不満を口にするのはみっともないだけでなく、その人の精神健康に良くない。非難、文句、不満はしないことにすぐることはないと考えてきました。年を重ねるに従って、繰り言が多くなるのは悲しいことです。死に近づくほどやりたい事をし尽くし、満足の度合いを深め、死に際しては良き人生だったと言いたいものです。
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