
「太陽がいっぱい」
価格:3,990円(税込)
発売・販売元:ジェネオン エンタテインメント
メディア:映画/上映時間 122 分
製作国:フランス/イタリア
ジャンル:サスペンス/青春
“下流社会”とは嫌な響きである。しかし、現実は既にそれを裏付けるかのような二極化に向かっている。半ば共産主義に近い“平等”を体現していた日本にとって、いまや“勝ち組負け組”“貧富の差”はリアルなのである。でも考えてみれば長い日本の歴史の中で、本当に人々が食うに困らなくなったのはほんのここ数十年にすぎないのかもしれない。
“ピカレスクロマン”?日本語では悪漢小説と訳されるが、古今東西悪の主人公を描いた名作は多い。スタンダールの「赤と黒」、レルモントフ「現代の英雄」、日本では大藪春彦「野獣死すべし」・・・。彼ら主人公に共通するのは「貧しさ」、そしてそこはかとない内に秘めた哀しみ。そう、彼ら主人公には罪を犯す、もしくはその行動規範を作った確固とした「理由」があるのだ。
なかでも映画「太陽がいっぱい」の主人公トム・リプレーは“美しく鮮烈”な犯罪者であった。
貧乏なアメリカ青年トムは、金持ちの息子フィリップを連れ戻すため、ナポリにやってきた。生まれながらのあまりの環境の差に慄然とすると同時にフィリップにねたみを覚えたトムは、殺して裕福な生活を手に入れようとする。そして計画どおり彼を殺害し、自殺に見せかけるが … 。
原作は、パトリシア・ハイスミス。同じ原作による映像化としては「リプリ?」があるが、このルネ・クレマン監督版があまりに秀逸なために、比べるのが可哀想くらいである。
大抵の映画は、けちをつけようと思えば何かあるが、本作に関する限り私は欠点を探すことはできない。秀逸なプロット、考え抜かれた台詞、アンリ・ドカエによる美しい地中海映像と、ニーノ・ロータによる忘れられない名旋律、そして何といっても主演のアラン・ドロンは、唯一無二の一本といって良いくらいはまり役で、この映画でスターの地位を不動のものにした。その恋人を演じるマリー・ラフォレの美しさも見ものだ。
監督は名匠、ルネ・クレマン。後年たまたま東京国際映画祭に来日していた彼を生で見る機会があり、思いがけず涙が出そうになった。
しかし、多くの人々から賞賛された本作のことをマスコミが彼に尋ねると意外にも、この映画のことをまるで口にしたくないとでも言うように「どこがいいんだ?」と憤慨するそうだ。しかも主演のドロンとはかなり仲が悪いらしい。人間とは複雑な生き物である。
そんなエピソードを知った後でもなおやはり本作は美しい。
ラストシーンで主人公トムは念願の恋人をも手に入れまさにその幸せ絶頂の時、自分を逮捕しにそこまで刑事が来ていることを知らずに、さんさんと太陽のふりそそぐビーチチェアに寝そべり呟く。
「リュミエール、リュミエール(最高だ、最高だ)」
物事には終わりがあるから美しい。人生も同じなのだ。
映画プロデューサー。
映画界とIT業界を股に架ける(?)迷プロデューサー。エンターテインメントを愛し、ライバルはジェリー・ブラッカイマーと言ってはばからない。いつかはハリウッドに負けない超大作アクション活劇を作るのが夢。