Anotherlife-もうひとつの生き方としての映画
“時間”は時に人の人生を大きく左右する。過去、映画の世界でもSFやファンタジーにおいて時間をテーマにした映画は多く作られている。それまで自堕落な生活を送っていた者が、死を目前にして人生の意味を問い直し、残られた時間を充実し、全うする。それは逆説的な意味で、喉元過ぎれば熱さを忘れる人間の性を浮き彫りにもさせるし、死を目前にした非日常でのみ発現する“神の企て”といえなくもない。
人生の意味を、一人の人間に与えられた持ち時間、という風に解釈するのか、それとも質の問題と定義するのか。
語られるテーマとしてはもはや陳腐だが、言うまでもなくもし前者なら、一秒の重みは人により異なる。
1969年、ブロンクス。慢性神経病患者専門のベインブリッジ病院に赴任してきたマルコム・セイヤー。そのセイヤーの患者の中でも最も重症なのがレナード・ロウだった。彼は11歳の時嗜眠性脳炎という特殊な病気を発病し、30年前にこの病院に入院して以来、意識だけはあるものの半昏睡状態で寝たきりの生活なのである。何とか彼を救おうとしたセイヤーはまだ公式に認められていないパーキンソン氏病患者用のLドーパを使ってレナードの機能回復を試みる。使った本人も半信半疑であったが奇跡的にある朝、レナードはめざめた。完全に機能を回復したレナードだったが、精神的には11歳の少年のまま成長が止まっていたレナード。彼が病院に見舞いにきたポーラに生まれて初めての恋をしたことから問題が起こり始める。1人だけで外出したいというレナードに医師団は反対し、それに反発したレナードは怒りからか、再び病状の悪化が始まってしまう。しだいに狂暴になるレナードをセイヤーですら抑え切れなくなる。そんな状態が続くうち、次第に再びレナードの状態に変化が訪れる。まるでパーティの終わりを告げるかのように、ついにレナードは、元の状態に戻っていく・・・。
原作はオリバーサックスの同名のノンフィクション。事実を元にした映画化である。あらすじを聞けば名作「アルジャーノンに花束を」を想起させるが、こちらは実話。その重みを感ぜずにはおれない。
当時筆者はこの映画の宣伝を担当していたが、そのときにジャーナリストの立花隆氏にこの映画を見ていただいた。氏は「脳死」の問題を深く掘り下げていた頃で、非常に(医学的な意味で)良く出来ているとコメントをいただいたのを覚えている。
無論、映画公開時もこの病気の原因は特定されておらず、最先端の遺伝子治療でも特定されたとは聞いていない。
誰しも自分に託された「持ち時間」を知らずに生活している。
もしもこの「持ち時間」があらかじめわかっていたら、人間は果たして充実した人生を送れるのであろうか。
最先端の遺伝子研究では、ある程度寿命をつかさどっている物質が判明していると聞く。人間の寿命の限界は120歳前後らしい。もし将来科学の進歩とともに、平均寿命がさらに伸び、そして前述のような病気もすべて解明された暁には、”人生の意味”は何か変容をきたすのであろうか。







