愛しのJazzMan
マイルス・デイヴィスのグループを辞めてからのハービー・ハンコックは、しばらくの間「エムワンディシ(MWANDISHI)」と呼ばれるセクステットを率いて活動していた。このグループは、それ以前から彼が関心を寄せていたアレンジを重視した6人編成のグループである。しかしフリー・ジャズの要素も加味した音楽性は、一般的な人気に結びつかなかった。
そこで1973年に発表されたのがブラック・ファンクのリズムを全面的にフューチャーした『ヘッド・ハンターズ』(ソニー)である。この作品は、折からのディスコ・ブームに乗って、ジャズの世界から飛び出し、広くポピュラー・ミュージックの世界で大ベストセラーを記録する。
「エムワンディシ」バンドと『ヘッド・ハンターズ』の間には、音楽的にあまりにも大きな隔たりがあった。そこであるとき、ハービーにそのことを聞いてみた。すると、彼はびっくりするようなことを口にしたのである。
ある夜、寝ている枕元に日蓮上人が立ち、「いま一番興味を持っている音楽をやりなさい」とのご宣託があったというのだ。その瞬間に目を覚ましたハービーは、のちに大ヒットする「カメレオン」のアイディアをいっきに纏めてしまう。
しばらく前から、彼はブラック・ファンクに興味を持っていた。しかしジャズ・ミュージシャンとしてキャリアを重ねてきただけに、それまでとはまったく違う路線を進むことに躊躇していた。その迷いもこれで吹っ切れた。その後はトントンとことが運び、ブラック・ファンクの一大ブームを巻き起こす超ヒット作の『ヘッド・ハンターズ』を完成させている(「カメレオン」もこの作品に収録)。
これも信心の賜物と感じたハービーは、以後、それまでにも増して熱心な信者になったという。ただし、これが本当の話かどうかは責任が持てない。かなり酔っていたときに聞いたからだ。
いまから16〜7年前のことである。ぼくは、頼まれてチック・コリアのドキュメンタリー・ビデオの監修をしていた。そこで、よきライヴァルであり音楽仲間でもあるハービーに、チックについて語ってもらおうとインタヴューをさせてもらった。ただし、超低予算での制作のためギャラは出せない。気のいい彼は、そんなことはどうでもいいからとインタヴューに応じてくれた。
そこで、ビデオの監督とぼくとで、その晩に六本木の日本レストランに招待したのである。お酒を飲みながらの世間話が続き、ハービーもぼくも大分いい気持ちになってきた。この質問はそんなときにしたものだ。すると、待ってましたとばかりに日蓮上人の話をしてくれたのである。
ハービーは信仰に厚い。滞在中のホテルに行けば、必ず自室に祭壇を祀っている。そこに毎日手を合わせ、コンサートの成功を祈願するという。
「お陰で、わたしは何10年にもわたって音楽の第一線で活躍してくることができた」
かなり酔ってはいたが、この言葉を語ったときの目は真剣そのもの、心から幸せそうだった。
無宗教のぼくは、キリストも日蓮上人もまったくわからない。宗教に心の安らぎを求めるタイプではないからだが、それは、そういう精神風土が欠落した家庭で生まれ・育ったからだろう。
心の安らぎはほかのことに求めてきた。でも、試験の直前に「神様、お願いします」みたいなことは思ったりもしたから、自分勝手なことこの上ない。
ハービーは日蓮上人、そしてライヴァルのチック・コリアはサイエントロジーという宗教とも哲学ともいえる教えの熱心な信者である。彼らがそこに何らかの拠りどころを求め、結果として素晴らしい音楽を作り出しているのなら、それはそれで素敵なことではないか。宗教、大歓迎である。
宗教が心の安らぎや拠りどころを見出すものであるのなら(そうかどうかは知らないが)、ぼくはハービー教の信者であり、チック教の信者であり、さらに視線を広げるならジャズ教の信者であり、いき着くところは音楽教の信者っていうことになる。

ハービーとの2ショット(2004年):ニューヨークの「ホテル・アテネ」にて
関連情報
お奨めCD●「Herbie Hancock/Head Hunters」(Sony)内容(「CDジャーナル」データベースより)
ジャンルを越えてR&B、ソウル、ファンクなどを咀嚼・吸収したハービーが、音楽シーンに投げつけた問題作。いまやバイブル的な存在でもある名盤を高音質リマスターで。
小川隆夫の本●「ジャズマンが愛する不朽のJAZZ名盤100」チャーリー・パーカーからノラ・ジョーンズまで、163人が本音で語る究極の100タイトル。「マイルスはあの名盤をどう思っているのか?」
筆者が過去にインタビューしてきた多くのミュージシャンの内、163人のさまざまなアルバムに対するコメントを集めたもの。いわば「ミュージシャンが紹介するジャズの名盤集」。






