愛しのJazzMan
留学しているときにアパートが隣だったことから、アート・ブレイキーにはずいぶん親しくしてもらった。ウイントンとブランフォードのマルサリス兄弟が住んでいるアパートの隣にぼくのアパートがあったことは以前にも書いたとおりだ。
もう少し詳しく説明するなら、そもそもはグリニッチ・ヴィレッジの77 Bleecker Streetにある高級アパートにブレイキーは住んでいた。そこに、彼が率いるジャズ・メッセンジャーズの一員となったマルサリス兄弟が引っ越してきたのである。その後に、ぼくは隣の79 Bleecker Streetのアパート(こちらはおんぼろアパート)に入居したという次第だ。そして、彼らがブレイキーを紹介してくれた。
ブレイキーは日本贔屓で知られている。しばらく前のアメリカではジャズ・ミュージシャンなど取るに足らない芸人くらいにしか思われていなかった。そんな時代の1961年に初来日を飾り、そのときに大スター並みの歓迎を受けたことからすっかり日本と日本人が大好きになったのである。
その後は日本人の奥さんがいたこともあるし、生まれた子供にはみな日本人の名前をつけていた。そんな人物なので、ぼくもずいぶんと可愛がってもらった(と勝手に思っている)。
世界中をツアーして回る超多忙のブレイキーである。滅多にニューヨークのアパートには戻ってこない。それでも、たまにオフのときはぼくを呼んでくれて、ツアーのことや昔の音楽話などに花を咲かせていた。
隣組だし、呼べばすぐに来るので格好の暇つぶしになったのかもしれない。しかし暇つぶしだとしても、ぼくには大変ありがたい。何しろジャズの歴史を背負ってきたひとりである。モダン・ジャズのありとあらゆる偉大なひとたちと共演してきたのだから話は尽きない。
ブレイキーは多趣味のひとでもあった。とくに興味を持っていたのが写真と自動車だ。カメラは、ライカ、ハッセルブラッド、ニコンなど、世界の名器を何台もコレクトしていた。その中からお気に入りのカメラを持ってはツアーに出掛けていたのである。彼が写したヨーロッパや古い日本の写真を見せてもらったが、スナップ写真と違って構図もしっかりしたものが多かった。本当はヌード写真も撮りたいんだがカミさんが許してくれそうもないからね、とただの親父になっていたブレイキーが懐かしい。
一方、自動車はロールスロイスをはじめ、ベンツやキャディラックなど高級車をひと通り所有していたようだ。運転も好きなのだろう。60歳を超えてからもヴァンにメンバーと楽器や機材一式を積んで、ニューヨークからシカゴぐらいまでなら自分で運転していたほどだ。
そんなある日のこと。ハーレムでジャズ・メッセンジャーズの仕事があった。メンバーは三々五々、楽器を手に77 Bleecker Streetのアパート前に集まってくる。そこで、ブレイキーの運転するヴァンに載せることになっていた。
それで、ドラムスやらベースやら管楽器やらを全部積み込み、いざ出発の時間になった。大型だから、全員は乗れなくても数人は乗ることができる。ところがメンバーは地下鉄で行くといって、誰ひとり乗ろうとしない。
その代わりに、ベースのロニー・プラキシコがにやにやしながら「タカオは乗っていけば?」という。ぼくはぼくで、リーダーでもあり高齢(このときでブレイキーは60代なかば)でもあるブレイキーに運転をさせて自分たちは地下鉄で行くなんて、いったい何を考えているんだろう? と思っていた。それと、彼をひとりにさせては悪いという気持ちもあって、助手席に乗せてもらうことにした。
そしてそれからの20分、ぼくは死ぬかと思う瞬間の連続を味わうことになる。ブレイキーはとにかく飛ばすのだ。マンハッタンの道路なんて、スピードが出せるところはほとんどない。それを路地から路地へと回ってびゅんびゅんスピードを上げ、車と車の間をすり抜け、警笛を鳴らしながら自転車やバイクを蹴散らし、雑踏を抜ける。あとは、ウエスト・エンド・アヴェニューをひた走って目的地に到着した。
普通なら倍の時間はかかるところだ。その間、ブレイキーはラジオから流れてくる音楽に合わせながら、日本流でいえば鼻歌交じりでマンハッタンをいっきに北上したのである。
ぼくたちから遅れること20分。ロニー・プラキシコがにやにやしながら再び近づいてきた。
「そうそう、いい忘れてた。アート・ブレイキーは、ミュージシャンの間で《ノー・ブレイキー》って呼ばれているんだった」

アートとの2ショット(1985年):ニューヨーク「スウィート・ベイジル」の楽屋で

アート・ブレイキー(1985年):左はウイントン・マルサリス、1985年2月22日、ニューヨークで開催された「ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート」の楽屋
関連情報
お奨めCD●「Art Blakey & The Jazz Messengers/At Cafe Bohemia Vol.1」(Blue Note)内容(「CDジャーナル」データベースより)
後にシーンをリードしていくミュージシャンを輩出することでも有名なメッセンジャーズのいわば原点と言えるアルバム。オリジナル・メンバーでの録音はこれが最初で最後だが、当時のパワフルな演奏は今でも実に新鮮だ。
小川隆夫の本●「ジャズマンが愛する不朽のJAZZ名盤100」チャーリー・パーカーからノラ・ジョーンズまで、163人が本音で語る究極の100タイトル。「マイルスはあの名盤をどう思っているのか?」
筆者が過去にインタビューしてきた多くのミュージシャンの内、163人のさまざまなアルバムに対するコメントを集めたもの。いわば「ミュージシャンが紹介するジャズの名盤集」。






