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エンターテインメント 愛しのJazzMan

Bill Evans ビル・エヴァンス 文=小川隆夫 JAZZを中心に活躍する音楽ジャーナリスト小川隆夫さんが、これまでに出会い、言葉を交わしたミュージシャンたちの生の声を通して、JAZZの魅力を伝えるシリーズです。

ビル・エヴァンスの悲報は、少なくとも日本にいるファンにとっては思いもかけないものだった。1980年9月15日、彼は入院先のマウント・サイナイ病院で肝硬変に肺炎を併発して51歳の人生を閉じたのである。
多くの証言者によれば、エヴァンスは死の数年前から慢性の肝炎を患い、自身その治療を拒み、みずから死を招くような行動を取っていたという。
「自分がひどい病気であることを彼は知っていた。よい病院で治療を受ければ快方に向かうはずだといって入院を勧めたが応じなかった。彼には生きる意志がまったくないように思われた」
これは死の直前、2度にわたってエヴァンスを診察したジェームス・ハルト医師の言葉である。
ぼく自身エヴァンス・トリオを1979年12月にニューヨークの「ヴィレッジ・ヴァンガード」で聴いた際、その体が異常にむくんでいることに気づいていた。しかしトリオの演奏があまりに素晴らしかったため、そのことについて深く考えることもなかった。それから約9ヵ月後の死である。いま思えば、エヴァンスの体はあの時点でかなりの病魔に浸食されていたのだろう。
個人的にはこのときが最後に聴けたライヴになってしまった。「ヴィレッジ・ヴァンガード」で聴くエヴァンス...。ジャズ・ファンにとっては格別の思いがするものだ。あのスコット・ラファロとポール・モチアンを率いて彼が名演と呼ばれる<ワルツ・フォー・デビー>他を「ヴィレッジ・ヴァンガード」で吹き込んだのは1961年6月25日のことである。以来エヴァンスと「ヴィレッジ・ヴァンガード」は切っても切れない間柄になった。

1987年1月2日、ぼくは最後にエヴァンスを聴いた「ヴィレッジ・ヴァンガード」から少し離れた「ファット・チューズデイズ」にいた。ベース・デザイアーズを聴くためだ。このグループのリーダーは、エヴァンス・トリオで最後のベーシストを務めたマーク・ジョンソンである。
ぼくは長い間疑問に思っていたことを、このときマークにぶつけてみた。それは、どうして最後の最後までエヴァンスが演奏し続けていたのかという単純にして素朴な疑問だった。
「ぼくたちはビルの具合が本当に悪くなって極限に来ていることもわかっていた。だからクラブで顔を合わせるたびに《病院へ行って下さい》って頼んだんだ。けれど彼はいつも《いいんだ》といって手を振るだけだった。このままでは絶対に死んでしまう、と心の中で何度も何度も叫びながら一緒に演奏していた。そのときの気持ちがどんなにつらかったか、これは言葉で表せないし、理解してもらえないと思う。指はもつれ、ほとんど満足にピアノが弾ける状態ではなかった。結局、最後にそのときのメンバーでドラマーのジョー・ラバーバラが車を運転して病院に運んだけれど、医者があきれるほどの手遅れだった」
エヴァンスが最後の最後まで、それこそ燃え尽きるまで演奏していたのが、マークに話を聞いた「ファット・チューズデイズ」である。エヴァンス・トリオは1980年9月9日から14日までこのクラブに出演する予定で、9日、10日と演奏を続けたが、11日になってとうとう力尽きたかのように病院へ行くことを希望したのだった。
マークはあの日々を思い出したのだろうか、こみあげてくる悲しみをこらえるようにして《最後》のプレイについて静かな口調で語ってくれた。
「最後の気力を振りしぼるようにして全身全霊で演奏に取り組んでいた。一音一音別れを惜しむような感じでね。音のひとつひとつを愛おしむように弾き出すことで、彼なりの別れを告げていたのかもしれない。テクニックがどうとかいう問題ではなくスピリチュアルな世界にいたのだろう。ジョーとぼくはビルが弾くピアノについていくだけだった。最後に演奏した曲はいまでもはっきり覚えている。<マイ・ロマンス>。言葉ではいい尽くせないほど胸に迫る演奏だった。終わってしばらくは涙が止まらなかった...」
そのときのエヴァンスの心理状態は誰にもわからない。マークの話を聞いて確かに感じるのは、エヴァンス自身、自分の死期をほとんど的確に悟っていたということだ。ピアニストとしての己の存在をまっとうさせることで彼は自分なりにけじめをつけたのかもしれない。
最後の一音まで弾き尽くして、エヴァンスはピアニストとしての人生を閉じたのである。だからあれほどまでに拒んでいた病院行きを自分から口にしたのではないだろうか。

マーク・ジョンソンとの2ショット(1987年):「ファット・チューズデイズ」にて

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小川隆夫(おがわ たかお)Takao Ogawa

音楽ジャーナリスト、整形外科医、DJ、音楽プロデューサー。

ニューヨーク大学大学院在学中にアート・ブレーキーやブランフォード、ウイントンのマルサリス兄弟をはじめ、多くのミュージシャン、音楽関係者と交流を深める。帰国後、『スイングジャーナル』誌の連載を持つと共に、JAZZを中心に約3000本のライナーノーツを手がける。「小僧こだわりJAZZ Live」のプロデューサーとして、「南佳孝 a stylish night with JAZZ'n pop」ではナビゲーターも務める。

小僧comアドバイザリーボードメンバー小川隆夫のJAZZブログ「Keep Swingin'」
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