愛しのJazzMan
ミュージシャンの中で日本語が達者な横綱はデビヴィッド・マシューズとケニー・ギャレットだろうか。マシューズはニューヨークのベルリッツで個人教授について勉強したほどの正統派で、ケニーは日本人のガール・フレンド(?)から習った実践派だ。
そのケニーと、ニューヨークにあったジャズ・クラブ「ファット・チューズデイズ」に出ていたドナルド・ハリソン=テレンス・ブランチャード・クインテットを聴きに行ったときのことである。ふと、マシューズと日本語で対談したら面白いんじゃないかと思いついた。マシューズはミッドタウンのイーストサイドに住んでいる。「ファット・チューズデイズ」もイーストサイドの17丁目にあるから、タクシーを飛ばせば10分くらいで行ける。
そこでマシューズに電話をすると、運よく彼も家にいた。アイディアを話すと乗り気の様子だ。そこでマシューズのアパートにケニーとぼくがお邪魔することになった。
ところで気安くマシューズなどと呼んでいるが、彼はアレンジャーとしてポップス界では相当な実績を誇っている。フランク・シナトラをはじめ、ビリー・ジョエルやポール・マッカートニーといったスーパースターのレコーディング、1981年にニューヨークのセントラル・パークで再結成されたときのサイモン&ガーファンクル、松田聖子がアメリカ進出を果したアルバムのレコーディングなどに名を連ねているのが彼だ。ジャズ・ファンならマンハッタン・ジャズ・クインテットやマンハッタン・ジャズ・オーケストラのリーダー兼ピアニストであることは先刻ご承知だろう。
いくつものゴールド・ディスクが飾られた廊下を通ってリヴィング・ルームに招かれたケニーは、そのすごいキャリアを改めて実感したのか、緊張している様子だ。マシューズは自宅ということもあって余裕綽々である。
初対面なのでふたりが最初に英語で挨拶を交わし、ぼくが「今日は日本語だけで会話をしましょう」と提案する。それを受けてケニーが口を開いた。ところが緊張していたせいか、彼は妙なことを口走ってしまった。
「マシューズさん、今日は七夕ですけど、織姫と彦星って知ってますか?」
「そんな話から行くのかよ」と思ってマシューズを見ると、彼はぽかんとした顔をしている。ケニーのいっている意味がわからないようだ。あとは話がかみ合わず、すぐに英語での会話になってしまった。
マシューズは、どうやらケニーの質問に気勢をそがれたらしい。七夕の意味がわからなかったのだ。それで意気消沈してしまった。戦意喪失といってもいい。
マシューズにしてみれば、高いお金を払って個人教授についている自負があった。かたやケニーは独学である。その彼の話について行けなくてがっかりしてしまったと後日語っていたが、マシューズには可哀想なことをした。
しかし、これでマシューズは一念発起をしたのである。そこが偉いところだ。よほど悔しかったのだろう。それからは、以前にも増して日本語の勉強に熱心になった。
以来、マシューズはいつもブランクのカードを持ち歩いては、知らない日本語にぶつかると表にローマ字でその言葉を書き、裏にはカタカナで読みとその英単語を書く方法を取っていた。驚いたのは、しばらくするとカタカナが自由に操れるようになっていたことだ。数年後には簡単な漢字も読めるようになって、レストランなどに入っても日本語で書かれたメニューがほとんど理解できるレヴェルに達していた。
そもそもマシューズが日本語を習おうと思った動機は、日本関係の仕事が多くなってきたため、日本語でコミュニケーションが取りたいと考えたからだ。こうなれば、ステージでのMCも当然のことながら日本語でやってみたい。そんなあるとき、ステージで演奏する曲の邦題を教えてほしいと頼まれたことがある。
たとえば<Take The A Train>は<A列車で行こう>とか、<You'd Be So Nice To Come Home To>は<帰ってくれてうれしいわ>とかのことだ。それを、彼は例のカードに書き込んでいる。あとは何度も繰り返して邦題を頭に入れていたが、その姿を見ていてあることが閃いた。
マシューズは当然のことだが英題はきれいな発音でアナウンスをする。それも日本語読みにしたほうが面白い。そこで、カードには<テイク・ジ・エイ・トレイン>とカタカナでも書くようにして、そちらも日本語の発音で練習するように提案したのである。
かくして、コンサートではマシューズのアナウンスが一番の大受けだった。
「演奏より受けてしまったんだからいやになる」
嬉しいような困ったような表情を楽屋で浮かべていたマシューズである。ただし、その後のコンサートでもこのやり方が踏襲されているところを見ると、満更でもなかったのだろう。
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(左)マシューズとの2ショット(1987年) |
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