愛しのJazzMan
10月にNHK出版から『となりのウイントン』という初エッセイ集を出版しました。今回はそこで発表したエピソードのひとつを『愛しのJazz Man』風にアレンジして紹介したいと思います。
留学中は買いたいレコードも随分と我慢しました。のどから手が出るほどほしかったレコードもいろいろあります。《ファンキー・ピアノの元祖》と呼ばれるホレス・シルヴァーが自費出版したアルバムもそんな1枚でした。『Guides To Growing Up』(Silverto)というのですが、これが簡単には入手できません。
シルヴァーはロスに住んでいましたので、そちらでは売られていたのでしょうが、ニューヨークのレコード店では扱っていません。そんなあるとき、彼がアパート近くの「ファット・チューズデイズ」に出演することになりました。そして、そのレコードを休憩時間にみずからの手で売っていたんです。
ところが貧乏学生だったぼくのポケットにあったのは一ドル札が三枚と、地下鉄やバス用のトークン(切符替わりのコイン)が数枚だけ。それらを足せばレコード代にはなります。非常識だとは思いましたが、そのレコードがほしかったため、おそるおそるシルヴァーにそれで譲ってもらえないかと頼み込んでみました。
最初はシルヴァーもジョークと思ったようです。ところがこちらがあまりにも真剣な顔つきをしていたのでしょう。「君はぼくの音楽が好きかい?」と聞いてくれました。そこでここぞとばかりに、彼がブルーノートで吹き込んだアルバムの数々をいかに愛聴してきたかを話したのです。
ぼくはシルヴァーのファンキーでラテン・フィーリング漂う楽風が大好きです。そんなことをつたない英語で伝えると、彼は満面の笑みを湛えて、アルバムにサインをするや、ひとことこうつけ加えながら渡してくれました。
「このアルバムもラテン・フレイヴァーが一杯だよ。エンジョイ、トークン・マン!」
いつの間にかトークン男になっていましたが、シルヴァーはプレゼントだといって、キャッシュはもちろんのこと、トークンも受け取りません。こちらの窮状を察してくれたのでしょう。このときは平身低頭してそのレコードを頂くことにしました。
シルヴァーへのお礼は、意外なところで果すことになります。帰国して2年が過ぎた85年に、雑誌の依頼で彼のインタヴューをすることになりました。あのときのことなど忘れていると思っていたのですが、初めの挨拶で「実はニューヨークであなたとは会っているんです」と切り出してみました。すると、すかさず「あのときのトークン・マンだろう」というではありませんか。これは嬉しかったですね。
ところが、その風情からは元気が感じられません。そこで、「どこか具合が悪いのですか?」と聞いてみました。
「背中が凄く痛むんだ」
シルヴァーは生まれつき背骨が少し曲がっています。
「持病の側彎症がときどき強い痛みを引き起こすんだ。日本に来るのに、薬を持ってこなかったんだよ」
整形外科医のぼくにとっては専門分野です。さっそくレントゲンを撮って確認しましたが、緊急を要する状態ではなかったので、いくつかの薬を処方して、簡易式のコルセットを渡しました。
「本当に有難う。それで、いくら払えばいいかな?」
「そうですね、それじゃトークン六枚にしましょうか?」
お金などいりません。トークンはもちろん咄嗟の冗談です。シルヴァーがプレゼントしてくれたレコードに、ニューヨークでどれだけ癒されたことでしょう。あのときの親切は忘れません。それに報いることができたとしたら、これほど嬉しいことはないですから。
翌日、シルヴァーから電話がかかってきました。痛みがすっかり和らいだので、コンサートもキャンセルしないで済んだとのことです。それで、時間があれば観に来ないか? という誘いの電話でした。
もちろん、ぼくの返事は「行きます」。以来、父親よりは少々若いのですが、兄というにはかなり年上のシルヴァーとはいいつき合いをさせてもらっています。旅の恥はかき捨てといいますが、捨てないで本当によかったと、思い出すたび、少し恥じ入りながらも感じています。
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ホレス・シルヴァーとの2ショット(1985年) |
関連情報
お奨めCD●『Horace Silver/Song For My Father』(Blue Note)ホレス・シルヴァーは、ファンキー・ジャズを代表する名ピアニストとして人気が高いが、同時にジャズ史上屈指の名コンポーザーでもあり、すばらしい曲をたくさん書いた。
60年代を代表する1曲といえば、これはもう本作のタイトル曲でキマリだろう。父親に捧げたこの曲は、ホレスの魅力を凝縮したようなキャッチーなナンバーで、エキゾティックなラテンのスパイスも効いている。本作は全6曲中5曲がオリジナルとあって、ホレスの曲作りのうまさと魅力を味わうには最適のアルバムだ。
小川隆夫の本●「となりのウイントン」「あの頃のマンハッタンの匂いがプンプンして懐かしい気分になるよ」(日野皓正氏の帯コメントより)。
医者とジャズ・ジャーナリスト、二足の草鞋を履いて、いつのまにか20年以上が過ぎてしまった…。ジャズ好きが高じてマンハッタンに留学してしまった青年外科医。そんな若き筆者と親交を結んだミュージシャンたちとのエピソードを綴った、初めてのエッセイ集。







