愛しのJazzMan
ジョン・コルトレーンは麻薬の常習が理由でマイルス・デイヴィスのグループを一度くびになっています。1956年の末に楽屋でそのことから喧嘩になり、マイルスがコルトレーンをなぐってくびにしたということですが、ぼくは目撃していないので(当然ですが)、真相はよくわかりません。
その場に居合わせたセロニアス・モンクがふたりの間をとりなしてくれたため、大事には至らなかったそうです。モンクはその場でコルトレーンを自分のグループに誘います。
それで仕事は繋がったのですが、マイルスのバンドとモンクのバンドとではギャラにかなりの開きがありました。もちろんマイルスのところで働いていたほうが収入はあります。そのため、コルトレーンは麻薬代に事欠くようになりました。困った彼は、親友のカーティス・フラーに相談します。
この時期、フラーはブルーノートからリーダー作を出し、サイドマンとしてもこのレーベルで数多くのレコーディングに参加していました。レーベルのオーナーであるアルフレッド・ライオンは、業界で一番ミュージシャンの面倒見がいいことで知られています。そこで、彼のところに行くよう勧めたのです。
ライオンがコルトレーンのアルバムを作りたがっていたことをフラーが思い出したんですね。レコーディングをしたいといえば前借ができる、とアイディアを授けたのです。コルトレーンには、ブルーノートのライヴァル会社であるプレスティッジからレコーディングの話が来ていました。しかし当時は専属契約を結ぶミュージシャンなどそれこそマイルス・デイヴィスくらいのもので、他はそのときどきでのワン・ショット契約が一般的でした。
フラーにはこういわれたものの、さすがのコルトレーンも麻薬代がほしいからレコーディングがしたいとは切り出せません。そこでソプラノ・サックスの練習も始めていた彼は、その楽器の名手であるシドニー・ベシェのアルバムをもらうという口実でオフィスを訪ねました。
そうしてライオンと世間話をしているうちに、レコーディングの話がうまいことに彼の口から出てきました。「しめた!」とコルトレーンは思ったことでしょう。しかし、この日は契約を担当している副社長のフランシス・ウルフが不在でした。そこで、ライオンはポケット・マネーから20ドルを前渡し金として支払います。
その後のコルトレーンはプレスティッジとレコーディングの話を進めていきます。ところが律儀な彼は前金のこともちゃんと覚えていました。プレスティッジと契約を交わす際に、ブルーノートでもアルバムが作れる条件を加えたのです。そうして生まれたのが、ブルーノートにおける唯一のリーダー作『ブルー・トレイン』です。そしてこれはハード・バップを代表する1枚になりました。
「メンバーはジョンが決めた。わたしのリクエストは、オリジナルのブルースを1曲は用意してくることだけだ」(ライオン)
このリクエストがアルバムを決定的な名盤にしたのです。タイトル曲の<ブルー・トレイン>は、それから半世紀近くが過ぎた現在もコルトレーンの代表曲であるばかりでなく、ジャズ・ミュージシャンが書いたブルースでもっとも多くのひとに愛されるナンバーのひとつになっています。
メンバーとのリハーサルも済ませ、次の日が録音というときでした。ばったり地下鉄の駅でフラーと顔を合わせたのです。コルトレーンは翌日のことを彼に話します。すると、見る見るうちにフラーが不機嫌になっていくではありませんか。
「そりゃあそうだよ。この話はわたしのひとことで始まったんだから」(フラー)
フラーはコルトレーンに向かって、「自分も入れてくれ」と主張しました。そういわれたら、彼には断る理由が見つけられません。クインテットの予定が、前日になってセクステットの録音に変更されたのです。しかし、フラーの参加も傑作誕生の弾みになったことは間違いありません。
ぼくはこのアルバムを聴くたびに、1957年のある日、マンハッタンのどこかでフラーとコルトレーンが、どんな顔でどんな服を着て麻薬代のことやレコーディングの話をしていたのだろう? と想像を逞しくしています。
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カーティス・フラーとのショット(1990年): |
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カーティス・フラー:(C)Mosaic Images |
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CD-エキストラとして登場した没後30年特別アルバム。各ミュージシャンたちのインタビューなど内容は充実。「ブルー・トレイン」「レイジー・バード」の別テイクなどはファンにはたまらない。新しく息を吹き込まれ生き返った歴史的名盤。楽しみ方はさまざま。
小川隆夫の本●「となりのウイントン」「あの頃のマンハッタンの匂いがプンプンして懐かしい気分になるよ」(日野皓正氏の帯コメントより)。
医者とジャズ・ジャーナリスト、二足の草鞋を履いて、いつのまにか20年以上が過ぎてしまった…。ジャズ好きが高じてマンハッタンに留学してしまった青年外科医。そんな若き筆者と親交を結んだミュージシャンたちとのエピソードを綴った、初めてのエッセイ集。







