愛しのJazzMan
チェコスロヴァキアが生んだ名ベーシストのミロスラフ・ヴィトゥスは、1960年代末にニューヨークに移り住んで、あっという間に大きな話題を集める存在になった。ジャズがロックやソウル・ミュージックと結びついて、それまでにないほど大きな広がりを示し始めていた時代である。
ヴィトゥスはロック的な演奏もできたため、まずはハービー・マンのグループに抜擢された。フルート奏者のハービー・マンは時代感覚に優れており、いち早くフュージョン・ミュージックの到来を実感していたのだろう。ジャズはジャズ、ロックはロックと高い垣根が厳然とそびえていた時代から、さまざまなジャンルのレパートリーを取り入れて、ジャズ・ファンに限らない幅広い層から支持されていたのが彼である。
そんな時期にヴィトゥスがグループに参加してくる。その結果、驚異的なテクニックを持つこの若者が時代の寵児と持て囃されるのにそれほどの時間はかからなかった。次いでその傑出したテクニックを買われて参加したのが、フュージョン時代を拓り開いた名グループのひとつウェザー・リポートだ。彼はジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターにスカウトされて、初代ウェザー・リポートのメンバーとなったのである。
母国ではクラシックの名門音楽院でも学んでいた。だから譜面にも強いはず。ところがあれ? っと思ったことがある。随分前の話になるが、合歓の里で開催されたジャズ・フェスティヴァルに参加したときのことだ。
フェスティヴァルの始まる数日前に現地入りをしたヴィトゥスだが、リハーサルをいっこうにしない。かなり複雑な演奏を日本人ベーシストとのデュオで行なう予定が組まれているのに、だ。
そしていよいよ当日になった。それでもリハーサルは行なわず、この日は朝から近くへ釣りに出掛けてしまった。そしてついにコンサートの時間を迎える。ステージに登場したヴィトゥスは、譜面の代わりに釣ってきたばかりの魚をアンプの横に置いたではないか。相手のベーシストにも譜面は渡されず、本番が始まった。結局は即興でやろうということになったのである。
彼曰く「音楽は魚の顔を見てイメージを湧かすに限る」
この時代のヴィトゥスはどこかぶっ飛んでいた。こうしたわけのわからないことをいってひとを煙に巻くのも好きだった。しかし、本人にしてみれば冗談でも何でもない。真剣そのものである。もちろん演奏は素晴らしいものになった。ちなみにそのときのタイトルは「渓流組曲」(?)だったとか。
ヴィトゥスはジャズ界きっての理論派との評価が高い。そのことにふと疑問を感じさせる行為だったが、それにも納得のいく日が来る。
それから数年後にインタヴューをすることになった。ところが指定してきた場所は、多摩川べりの食堂である。どうしてこんなところ? と思ったが、とにかくその店に行ってみた。そこは古い木造の小さな店で、地元のひとが定食を食べに寄るようなところだった。
暖簾をくぐると、長身の金髪男が焼き魚定食を食べている。見れば、釣りびとの格好をしたヴィトゥスではないか。日本に来ると、時間があればこのあたりで釣りをしているという。釣りが音楽的な創造意欲を高めるという話も本当だった。彼は釣り糸を垂れながら作曲にいそしんでいたのである。
「釣りは孤独な遊びなんだ。作曲をするのと同じで、自分の世界に没入できる。気持ちを集中させるのにもってこいだ。自然の中で川の流れを見ていると、楽想が湧いてくる。だから、ぼくは世界中のあちこちで釣りをしながら曲を書いたり、アレンジをしたりしている」
なるほど、ひとそれぞれである。たしかにまわりは静かだし、こういうところにいれば気持ちも清らかになるのだろう。ヴィトゥスが書く曲や演奏が透明感に溢れたものであるのもわかる気がした。音楽を創造することを考えれば、理想的な環境なのかもしれない。
実はぼくも子どものころ、この近くに住んでいた。中学のときは自転車に釣具を一式乗せて、このあたりで糸を垂れていたこともある。というわけで、この日はインタヴューそっちのけでふたりして釣りにいそしむことになった。
ところで同じような感覚のベーシストが日本にもいた。以前は人気投票で何度も1位になったヴェテランだ。名誉のため敢えて名前は明かさないが、このひとは譜面台にいつもヌード写真を置いて、楽譜を読んでいるふりをしていたのである。
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ミロスラフ・ヴィトゥスとの2ショット(1987年) |
関連情報
お奨めCD●『Miroslaf Vitus/Universal Syncopations』(ECM)内容(Michael Tucker, Amazon.co.ukより抜粋)
チェコの誇る偉大なベーシストで、ウェザー・リポートの創設者のひとりであるミロスラフ・ヴィトゥスによる、叙情性と魅力的なリズムに彩られた作品。
ヤン・ガルバレク、チック・コリア、ジョン・マクラフリン、ジャック・ディジョネットといった、現代ジャズ・シーンを支える功労者たちが参加。
本作は、ヴァラエティ豊かな内容を持ちながらもバラついた印象がまったくない。ここには大人の味を持つ、聴きごたえ満点の音楽が詰まっている。最初から最後まで、個性的な作曲センスと巧妙なインプロヴィゼーションが絶妙なバランスを保っている。
小川隆夫の本●「となりのウイントン」「あの頃のマンハッタンの匂いがプンプンして懐かしい気分になるよ」(日野皓正氏の帯コメントより)。
医者とジャズ・ジャーナリスト、二足の草鞋を履いて、いつのまにか20年以上が過ぎてしまった…。ジャズ好きが高じてマンハッタンに留学してしまった青年外科医。そんな若き筆者と親交を結んだミュージシャンたちとのエピソードを綴った、初めてのエッセイ集。







