愛しのJazzMan
アルト・サックス奏者のデヴィッド・サンボーンといえば《泣き節》で有名である。ひところは《メローなサックス奏者》などとも呼ばれていた。それゆえメロディックなプレイは聴くものをしみじみとした気分にさせてくれる。人気も抜群、実力も抜きん出ている。まさにフュージョン・シーンで《超》の字がつくほどの人気者が彼である。
ところがそんなサンボーンにも泣きどころがあった。ぼくには思いもよらぬことだが、意外な悩みを持っていたのだ。どんなことかといえば、「他のジャズ・ミュージシャンに比べて、自分には才能がないのでは?」というのだから驚きだ。これは彼が勝手に思い込んでいた一種のコンプレックスである。
レイ・チャールズのバック・バンドで音楽監督を務めたアルト・サックス奏者のハンク・クロフォードに影響を受けたことがプレイヤーとしてのサンボーンの出発点だ。プロとしてのデビューもジャズのフィールドではなく、ブルース・シンガーのバックを務めるものだった。しばらくの間はブルースやリズム&ブルースの世界で活躍し、続いてポップスのフィールドで人気を獲得してからジャズの世界に転身を図っている。
「だからジャズ・ミュージシャンに較べると、テクニックでも音楽性でも自分は劣っている」
本気でこう考えているのがサンボーンだ。このコンプレックスが彼の泣きどころである。あのトレードマークの《泣き節》も、そうしたコンプレックスから脱却するため身につけたものだという。
サンボーンにいわせれば、いわゆるジャズ・ミュージシャンのようにすごいアドリブがばりばりと吹けるわけではない、それじゃあ自分には何があるのかと考えたとき、はたと気づいたのがポップスのセッションで身につけた歌心だった。以来、それに磨きをかけることで彼は人気を獲得してきた。サンボーンのエモーション豊かな《泣き節》は、実をいえばコンプレックスから生まれた副産物だったのだ。
「目をつぶり、その音楽が流れる情景を勝手に想像するんだ」
あるとき、サンボーンに「どうすればあなたのようにメロディックなプレイができるんですか?」と聞いてみた。そのときの答えがこれだ。彼は、歌と同じでひたすら美しいメロディをつみ重ねていく。情景やストーリーが浮かんでくる音楽。そこに持ち味と魅力がある。
「人気があるのは自分でもわかっている。でも、本当かな? っていう気持ちも常にどこかにあるんだ。わたしは、歌心やエモーションを大切にしてフレーズを綴ることに力を入れてきた。サックスで繊細なトーンを表現するにはどうすればいいか? ニュアンスが問題なんだ。どんな音色でどこに力を入れて、どこで力を抜いているか。それがエモーションの発露というものさ。フレーズというのは音楽のほんの一部分に過ぎない。サウンド、フレージング、アタック・・・たくさんの要素が組み合わさって音楽は出来上がっているのだから」
こんな姿も目撃している。1983年から始まったギル・エヴァンスの「スウィート・ベイジル」におけるマンデイ・ナイト・ライヴでのことだ。毎週月曜の夜、ニューヨークにあった人気ジャズ・クラブでギルの率いるオーケストラが演奏を開始した。最初の夜から、サンボーンは飛び入りをしている。それもほぼ毎週だ。
聞けば、他の仕事を断っても極力駆けつけるようにしていたという。あまりにも頻繁に飛び入りをするので、そのうち準レギュラーとして最初から席が与えられるようになったほどだ。ただし、ギルのオーケストラでもらえるギャラはひと晩で50ドルにしかならない。
「ほかで仕事をすれば何100ドルかにはなる。でもギルのバンドは勉強になるし、彼と一緒にいると気持ちがおおらかになれるんで、お金は関係ない」
サンボーンはこういいながら、いつも嬉しそうに演奏していた。人気がいくら増しても、ギャラがどんなに釣り上がっても、謙虚な態度は忘れない。そんなサンボーンがぼくは大好きだ。
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ウィル・リー(左)とデヴィッド・サンボーン(中央)(1985 @ Lone Star Cafe、NYC) |
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お奨めCD●『David Sanborn/Closer』(Verve)内容(「CDジャーナル」データベースより)
人気サックス奏者による1年半ぶり、ヴァーヴ第2弾アルバム。リズ・ライトをゲスト・ヴォーカルに迎え、ジェームス・テイラー楽曲などキャッチーでポップなナンバーが中心に収録されている。
小川隆夫の本●「となりのウイントン」「あの頃のマンハッタンの匂いがプンプンして懐かしい気分になるよ」(日野皓正氏の帯コメントより)。
医者とジャズ・ジャーナリスト、二足の草鞋を履いて、いつのまにか20年以上が過ぎてしまった…。ジャズ好きが高じてマンハッタンに留学してしまった青年外科医。そんな若き筆者と親交を結んだミュージシャンたちとのエピソードを綴った、初めてのエッセイ集。







