愛しのJazzMan
創業70年以上が過ぎたニューヨークのジャズ・クラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」を仕切っているのがロレイン・ゴードンである。オーナーで夫のマックス・ゴードンが死去した1989年以降は、彼女が女主人としてこの《世界一のジャズ・クラブ》と呼ばれる人気スポットを現在までしっかり受け継いできた。
ロレインがゴードンと結婚したのは1957年のことだ。それ以前、彼女はブルーノートの創業者でプロデューサーだったアルフレッド・ライオン夫人として知られていた。もともと熱心なジャズ・ファンだった彼女は、それが縁でライオンと結ばれている
「アルフレッドと出会ったのは、たしか1940年のことだったわ。17歳のときだったかしら。そのころのわたしはニュージャージー州のニューアークにあるホット・クラブ(ジャズのファン・クラブ)のメンバーだった。兄のフィルと一緒に参加していたの」
「ヴィレッジ・ヴァンガード」の楽屋は、その昔はキッチンとして使われていた。いまはさまざまな書類や段ボールの箱が雑然と置かれ、ミュージシャンがいない昼間はロレインのオフィスも兼ねている。その一角で、80歳近い彼女が背筋をきちんと伸ばし、かくしゃくとした風情で昔を懐かしんでくれた。
ロレインはホット・クラブの会員になるほどの熱心なジャズ・ファンだった。ベッシー・スミス、マ・レイニー、アイダ・コックスといったブルース・シンガーや、デューク・エリントン、ルイ・アームストロングがお気に入りだったという。
「兄とわたしはこうしたひとたちのレコードを集めていたの。それもオリジナル盤で。そう、2〜300枚は持っていたかしら。近くの黒人居住区に住むひとたちからいらなくなったレコードを見せてもらうの。それでほしいものを1枚25セントくらいで分けてもらう。そうやってコレクションを増やしていったわ」
まさに筋金入りのジャズ・ファンだった。
ロレインは、高校卒業後にニューアークのレコード店に勤め始める。そんな時期に、ホット・クラブの会員がニューヨークのジャズ・クラブ「スリー・デューセズ」に連れていってくれた。そこでライオンに紹介されたのである。
「それまでブルーノートのプロデューサーがアルフレッドだとは知らなかった」
しばらくするとふたりはニューヨークやニューアークでデートを重ねるようになった。ホット・クラブにライオンを招き、彼らのコレクションを聴かせてもらったこともある。
「わたしたちが見たことも聴いたこともないたくさんのヨーロッパ盤を持ってきてはかけてくれたわ。ヴォックス、パーロフォン、オデオンといったレーベルのレコードなんかに、みんな羨望の眼差しだった」
ライオンとロレインは親しくなっていく。やがて彼は徴兵されてニュージャージーのフォート・デックスに配属され、彼女は軍需工場だったウエスタン・エレクトリック社の仕事に従事する。その後にライオンはテキサスのエルパソにある軍隊の病院が勤務地となった。
「ロレインはジャズが大好きな女性だった。わたしより15歳ほど若かったから、最初は妹みたいに思っていた。恋愛の対象じゃなかった。それに、ブルーノートを立ち上げたばかりで忙しかったし。けれど彼女は無類のジャズ好きで知識も豊富だった。そんな女の子には一度も会ったことがなかったから、だんだん一緒にいるのが楽しくなってきた」(ライオン)
やがてふたりは結ばれ、ロレインはブルーノートの仕事を手伝うようになる。無名だったセロニアス・モンクのレコードを売るため、「ヴィレッジ・ヴァンガード」にブッキングしたのも彼女だった。それが縁でオーナーのマックス・ゴードンと親しくなる。ライオンとの離婚後に彼と結婚するが、彼女の名誉のために書いておけば、決して不倫をしたわけではない。
ロレインの「ヴィレッジ・ヴァンガード」における功績は想像以上に大きい。彼女がゴードン夫人になるまでの「ヴィレッジ・ヴァンガード」は、ジャズだけでなく、フォーク・ミュージックや詩の朗読や演劇なども上演するライヴ・ハウスだった。そこに、幅広いジャズ・ミュージシャンと交流していたロレインが参画したのである。その結果、1957年からこの店はジャズ専門のクラブに衣替えをする。
ロレインがいなければ「ヴィレッジ・ヴァンガード」は《世界一のジャズ・クラブ》と呼ばれるようにはならなかった。その彼女は今日も店で忙しく立ち振る舞っている。ジャズと共に生きて60年。その生きざまには敬服する以外にない。
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ロレイン・ゴードンとの2ショット(2006年) |
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お奨めCD●『Bill Evans/Waltz For Debby』(Riverside)ピアニストのビル・エヴァンスは、スコット・ラファロとポール・モチアンのトリオで1961年6月に「ヴィレッジ・ヴァンガード」に出演した。その模様を収めたのがこの作品である。この日のライヴは他にもいくつかのアルバムで紹介されている。中でもこの作品に人気と高い評価が集中しているのは、儚さとロマンとリリシズムが混在した美しい演奏がタイトル曲で聴けるからだ。加えて<マイ・フーリッシュ・ハート><マイ・ロマンス><ポーギー>といった演奏には、甘さやムードに流されることなく、強い意思を反映した明快なタッチが記録されている。これもラファロとモチアンの強力リズム・セクションが参加した成果だ。ピアノ・トリオという小人数の編成で、これだけ奥の深い表現をしてみせたことにも驚きを禁じえない。(小川隆夫)
小川隆夫の本●「となりのウイントン」「あの頃のマンハッタンの匂いがプンプンして懐かしい気分になるよ」(日野皓正氏の帯コメントより)。
医者とジャズ・ジャーナリスト、二足の草鞋を履いて、いつのまにか20年以上が過ぎてしまった…。ジャズ好きが高じてマンハッタンに留学してしまった青年外科医。そんな若き筆者と親交を結んだミュージシャンたちとのエピソードを綴った、初めてのエッセイ集。







