愛しのJazzMan
ぼくの世代なら『11PM』というテレビ番組を覚えていると思う。月・水・金が東京の日本テレビ制作で司会が大橋巨泉、火・木が大阪の読売テレビ制作で司会が藤本義一だった。この番組の火曜と木曜のエンディング近くに、あるときからやけに唸り声の大きなオルガン・プレイヤーが登場し始める。
それ以前のオルガン・プレイヤーは上品な紳士然としたひとだったが、こちらの“唸り声氏”はソウルフルそのものの音をしていた。それがいまはKANKAWAを名乗る、若き日の寒川敏彦さんだった。ちなみに紳士然としたオルガン・プレイヤーは小曽根真さんの父君である。
寒川さんと知り合ったのは20年以上も前のことだ。聞けば、何のつてもなくアメリカにわたってジミー・スミスの家に行き、それこそ落語家の卵のように弟子入りをしてオルガン修業をしてきたという。この無鉄砲さからしてソウルフルな生きかたに思えてならない。
寒川さんとジミー・スミスでは、忘れらないことがある。1985年、ニューヨークで「ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート」というコンサートが開催された。コンサートは、しばらく活動を休止していた名門ジャズ・レーベルのブルーノートが復活したことを記念して開催されたものだ。ブルーノートの大スターだったジミー・スミスもコンサートに出演するため、そして寒川さんやぼくはコンサートを観るためニューヨークにいた。
ミュージシャンやぼくたちも含めて、このときは関係者がみんな同じホテルに宿泊していた。ニューヨークに着いた翌日の朝、朝食を食べようとロビーに下りると、入り口のソファーで寒川さんとジミーさんが早くもお酒を飲みながら談笑している。そして、そこを通るミュージシャンや関係者に誰彼構わず、「どこへ行くんだ」と問いただす。まるで関所の番人のようで、ぼくもふたりにしっかりと聞かれてしまった。
それで朝食を食べてから友人に会って、お昼ごろにホテルに戻ってくると、まだふたりはそこで関所の番人をやっていたから、呆れたというか、ひまというか。聞けばこの日は3時ごろまでいたらしい。
ぼくはこのニューヨーク行きで寒川さんと親しく話すようになった。このときの彼には、ひとつの目論見があった。コンサート終了後にミュージシャンや関係者を集めて盛大なパーティが開かれる。そのパーティでオルガンを弾きたい。それが計画だった。
実際に、ブルーノート社長のブルース・ランドヴァルやプロデューサーのマイケル・カスクーナにもこの話を持ち込んだようだ。しかし残念なことに、このときはオルガンやその他の機材の調整がつかず、断念せざるをえなかった。
もし寒川さんがパーティで演奏していたら、ぼくは絶対に評判になると確信していた。ひょっとしたらそのままブルーノートで契約、なんていうことになったかもしれない。たいしたことはできないが、ランドヴァルやカスクーナに強力なプッシュもしてみよう。こちらにもそんな下心があったのだが、残念ながら実現しなかったため、これは水泡と帰してしまった。
翌年には、日本で開催された「第1回マウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァル・ウィズ・ブルーノート」にも出演して、ジミー・スミスばりのソウルフルなオルガン・ジャズを、超満員の観客とブルーノートゆかりのミュージシャンを前に、堂々と披露してみせてくれた。これも忘れられない光景だ。
忘れられないといえば、こんなこともあった。1995年のことだ。寒川さんから、レコーディングをやっているから覗きに来ないかとお誘いを受けた。ぼくもこの時期はニューヨークでプロデューサーをやっていたので、合間を見つけて彼がいるスタジオを訪ねてみた。
驚いたのは、共演者の顔ぶれである。デヴィッド・サンボーン、アンソニー・ジャクソン、ハイラム・ブロック、レニー・ホワイトなど、フュージョンのトップ・ミュージシャンがずらりと顔を揃えているではないか。こんなメンバーが集まっていること自体が信じられなかった。
ぼくもプロデューサーの端くれである。どうすればこれだけのひとたちを集めることができるのか? コンタクトを取るのだって簡単にはいかないし、ましてや予算がどのくらいかかるのか、考えただけでも恐ろしくなってくる。しかも彼らのいい値を払っていたら、ジャズのレコーディングなんて成立しない。おそらく、かなりのディスカウントはしてもらっているはずだ。とはいえ、それだってそう簡単にはいかない。
つくづく寒川さんは実行のひとだと思う。そのヴァイタリティには見習う点が多い。そして、先日はこんなメールをいただいた。
「いま、一番気に入っている俺のレギュラートリオの初ライヴ・レコーディングをします。いままでオルガンを弾いてきた30年の1つの区切りをつけます。1/31、「Motion Blue」、ご招待しますので、お忙しいとは思いますが、もしご都合がよかったら是非ともその場の目撃者になってもらおうかな、と連絡しました。本気モードで行きます。 KANKAWA」
こんなメールをもらったら行かないわけにはいかない。そして、ぼくはその夜、オルガン・ジャズから離れてマイルス・デイヴィスやサン・ラに通ずる宇宙的な響きのする音世界を堪能することになった。
「ジミー・スミスの後継者」
その地位や名声に甘んじず、独自の音楽を切り開こうとしているKANKAWA。ぼくはまだまだ彼からいろいろな音楽を聴かせてもらいたいと思っている。
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寒川さんとの2ショット(2007年) |
関連情報
お奨めCD●『Jazz Time: 2: Blue Bossa Live1987』(&forest Music )内容(「CDジャーナル」データベースより)
日本を代表するオルガン奏者の寒川が87年にジョー・ヘンダーソンを招いて行なったツアーからのライヴ音源。“ジョーヘン”を代表する2曲を本人がオルガン・トリオとともに演奏するという貴重な録音。
小川隆夫の本●「となりのウイントン」「あの頃のマンハッタンの匂いがプンプンして懐かしい気分になるよ」(日野皓正氏の帯コメントより)。
医者とジャズ・ジャーナリスト、二足の草鞋を履いて、いつのまにか20年以上が過ぎてしまった…。ジャズ好きが高じてマンハッタンに留学してしまった青年外科医。そんな若き筆者と親交を結んだミュージシャンたちとのエピソードを綴った、初めてのエッセイ集。







