第17回「今月の小僧」 緑川美由紀さん

オーディション
とかくオーディションというのは、本人が応募するより、周りの人が本人に内緒で応募する方が合格率は高いように思う。彼女の場合もそうだった。 「大学卒業後は母校の体育の先生になる」という希望が叶わず、どうしようかと思案に暮れていた時、母親が内緒で応募したオーディションを受けるように勧められる。トヨタ自動車「プリティ」のイメージガールだった。全く興味もなく、どうせ受かる訳はないと出かけていったオーディション。周りは美人ぞろい、自分は体育大学の学生で化粧っけもない。しかも車のことなど皆目分からず、質問への返答も的外れ。「あ~これで落ちたな」と思っていたら、なんと2000名の応募者の中から7名のイメージガールの一人に選ばれた。「たぶん、体育大学出身だから体は丈夫だろうと思われたに違いない」と彼女。
もちろん理由はそれだけではないと思うが、それから2年間、全国を回る過酷なキャンペーンを見事無事にやり終えたのは、やはり彼女一人だった。審査員の目は正しかったのかもしれない。たいへんな2年間だったが、社会人としての自分を磨き、仲間と一緒に活き活きと活動できた最良の時間ともなった。
東京は神田の生まれ
中学校から大学までテニスに熱中。卒業後は一般企業に就職したが、テニスへの思いは途切れなかった。4年ほどで会社を辞めてテニス界に復帰。選手をしながらコーチを目指し、自由が丘インターナショナルテニスカレッジ(JITC)を開校。テニス界を変える大きな革命がまさに起ころうとしている時だった。
ちょうどその頃、欧米ではラケットの素材が木製からグラファイトという炭素繊維に移行し、ラケットの面が大きい“デカラケ”が登場。コートもクレー(土)からハードコートへと変わるなど、テニスの大転換期だった。マッケンローやコナーズ、ボルグが活躍する時代で、彼らのプレースタイルもラケットやコートに合わせて力で押していくようなものへと大きく変わっていった。
一方日本では、従来どおり木製のラケットで、流れるようなスイングでボールを打つ、「お蝶夫人」のような、これまで通りのテニスからなかなか抜け出せず、欧米との力の差は歴然としていた。
なんとか日本にも欧米流のテニスを取り入れたい。特にジュニア世代にその技術を伝え、世界に通用する選手を育てたいと、一からコーチ学を学ぶため渡米する。 「カッコよく言えば、新しい風を日本のテニス界に吹かせたいと思ったんですよ。実はただのミーハーかもしれませんが、そういう新しいものに敏感であることも必要でしょ。」まさに80年前のご先祖さまと同じ進取の気性が、ここに受け継がれているのかもしれない。 開校から25年、今JITCには1000名程の生徒が通い、中には世界のトッププレイヤーを目指している人がいる。
水が嫌いだからできた「アクアジョイ」
「プリティガール」の後、東京YMCAでのフィットネス講師を経て、社会体育専門学校専任講師を続ける傍ら、二子玉川に新しくできたフィットネスクラブ「アップストゥーディオ」での、プールを使ったフィットネスのクラスを受け持つことになる。20年ほど前のことで、当時水中で行なうフィットネスはなく、全くゼロから考案しなければならなかった。
実は彼女、泳ぎは得意ではないし、ほんとうは水も嫌い。「そんな私が何故?」という思いもあったが、逆に「そういう人でもできる水の中のトレーニング」を考えることにした。基本は2つ。一つはプールの底に足が着くこと。そして顔を水につけなくて良いこと。そしてできたのが「アクアジョイ」と名づけられたフィットネス方法。噂を聞きつけてアメリカのフィットネス関係者が見学に来るほど、フィットネス界では大きな旋風を巻き起こした。その後、テレビ、雑誌、新聞などでも大きく取り上げられ、平成4年から10年ほど現代用語事典にも「アクアジョイ」は掲載された。
この「アクアジョイ」を考案し、多くの人とのネットワークを構築できたことが、その後の彼女にフィットネスからボディケアまで、次々と新しい展開をもたらした。
今では、20名ほどのスタッフをかかえ、自由が丘の会員制スポーツクラブ「リバティヒルクラブ」でのフィットネスプログラムや読売文化セミナーでのダンスクラス、企業セミナー等にインストラクターを派遣するほか、自身もクラスを持ち、プライベートなケアプログラムも実践している。
鬼の緑川
「アクアジョイ」で注目を浴びる一方、青山ではダンスクラスも開設。大人向け、子供向け、それぞれのクラスを受け持ち、次第に生徒が増えていく中で、自身のダンスカンパニーも創設。本格的な公演活動も始めた。
ダンスクラスでも、自身のダンスカンパニーでも、レッスンには一切手を抜かない。大人も子供も全く同様に扱う。男子生徒を泣かしたことも、スタジオからたたき出したこともある。ついたあだ名が「鬼の緑川」だった。見た目のしなやかなボディラインや目鼻だちの整った小顔の下に体育会系の素顔が隠されている。
それでも、卒業していった生徒たちとは今でも交流があり、発表会にも遊びに来てくれる。その厳しさが、生徒たち自身のためを思ってのことだということを、みんなちゃんと分かっていたからこそのことだろう。
そんな「鬼の緑川」が、最近はやさしくなったと言われる。本人にあまり自覚はないが、いったいそれが良いことなのかどうなのか、思わず考えてしまうという。ただ、任せられるスタッフが増え、すべて自分が出て行かなくても良い状況ができたことも大きな要因ではないかとも思う。これも、「アクアジョイ」から繋がるネットワークと仲間作りの大きな成果だった。
シングルマザーの役割は父親
「鬼の緑川」は家庭でも厳しかった。一人娘がまだ零歳の時から、母親の力を借りつつシングルマザーとして子育てをしてきた。乳幼児のころは、仕事場にもつれていき、仕事の合間に授乳したり、レッスンが終るまでスタジオの片隅で待たせたりしていた。甘えたい盛りで、つい母親の元に歩き出そうとするのを、きっとにらんで自分の席に帰らせたこともある。女性の多い職場で、生徒たちの理解もあり、なんとか乗り越えられた。
日々仕事に追われる中、その後母親役はいつも一緒に居るおばあちゃんが担うことになる。そこで、自分は父親役に徹しようと考えた。普段はほとんど口を出さず、娘が何か問題を起こした時には、感情的にならず、理詰めで問題を突きつけて、反省を促してきた。
いまは、研究職を目指して薬学系の大学院で学ぶ娘さんの就職活動が気がかりだが、こればかりは本人次第。外から応援するしかない。
そして介護がやってきた
フィットネスやダンスと同時に、操体法を基に独自に考案したボディケアを、スポーツクラブやダンススタジオで実践してきた彼女。2006年には、自身のボディケアサロン「ミュウシャンブル」を開設。スポーツやビジネスでの疲れや痛みを取る「ボディチューニング」を提供している。
それとほぼ時を同じくして、老いた母親の介護が深刻な状況になってきた。90歳になる母親に、いつまでも元気で、活き活きと過ごして欲しいと、ボディチューニングを活かしたリハビリメニューを作り、一緒に運動をしている。残り少ない人生かもしれないが、生かされているのではなく、生きて欲しいとの願いを込めて、子供の頃、母親のツボを押して痛みをとってあげたのと同じように、毎日時間の許す限り母親の傍で過ごすことにしているという。
まさに小僧世代には切実な話だが、彼女はあっけらかんと話してくれる。介護疲れも介護やつれも感じさせない。無理せず、相手のペースに合わせた介護方法と、それに自信をもって臨んでいる証かもしれない。
魂のままに踊りたい
就職を控えた娘、要介護の母親、そして会社のスタッフたち。彼女の肩にかかる負担はまだまだ大きいが、夢はいつも胸の中にある。それは、見せるダンスではなく、躍ること自体を目的としたダンスを踊りたいということ。
魂のままに、思いを同じくする仲間と一緒に、自然の中で、自然の力を感じて踊りたいと思っている。
これまで多くの出会いを新しいビジネスや活動のきっかけにし、実現してきた彼女。近い将来、この夢の実現にもきっと素晴らしい出会いがあり、思いが叶う日がくるに違いない。体育会系の底力で。

左上:インタビュー風景
中央上:ダンス公演のステージで
中央下:トヨタ「プリティ」イメージガールの頃
右:「アクアジョイ」掲載雑誌のグラビア写真(本人)


インタビュアー:堀込多津子

プロフィール

緑川美由紀 緑川美由紀(みどりかわ みゆき)
有限会社ジョイ・ワールド代表取締役。厚生労働省認定健康運動指導士。東京YMCA社会体育専門学校専任講師。フィットネスプログラマー。ジャズ・モダンダンスコレオグラファー。
東京YMCAフィットネス講師をはじめ、多くのフィットネスクラブでアドバイザー、インストラクターとして活躍。90年「アクアジョイ」という新しいフィットネスを考案。メディアで大きく取り上げられる。05年には身体のメンテナンスケア「ボディチューニング」を考案し、企業セミナーや自身のサロン「ミュウシャンブル」を通じて紹介している。

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