故郷で政治家として働きたいと思って8年間、頑張ってきたのですが、今回、福井市長選挙に負けたことで、当面、政治家としての目途が立たなくなりました。さて、どうしようかと考えたときに、政治家としてやろうとしていたことを民間人としてやってみてはと考えました。ちなみに、福井市長選挙のときの公約は、「市長自らが福井ブランドのトップセールスマンになります」というものでしたので、以前から「こんなにおいしいのになぜ知られていないんだろう」と思っていた福井の海産物の販売を思い立ったわけです。幸い、8年間の政治活動で培った知名度と信頼がありましたので、「高木さんがやるのなら協力します」という生産者がすぐ現れました(現在4社)。

政治活動をしていて分かったことがあります。農林水産業に関する政策はすべて生産能力の向上に向けられているということです。農業では、構造改善事業と呼ばれる毎年1兆円に及ぶ耕地整理事業、林業では林道整備、水産業では漁港整備などすべて生産能力の向上に向けられたものです。ところが、現在の日本の食料自給率は40%を切っています。なぜか。農林水産業の生産者には生産能力があっても、販売能力が追いつかないからです。その一方で、海外からの農林水産物の輸入には大手商社と大手流通業者が絡んでいますから、国内の生産者は太刀打ちできません。また、戦後政治の大きな流れとして、アメリカで日本の工業製品を売る代わりに農産物の輸入自由化にじりじりと応じてきたという事情があります。

つまり、いま農林水産業の生産者にとって最も必要なのはマーケティング能力であり(これは農林水産業に限ったことでありませんが)、格好良く言うとそのお役に立とうと思ったわけです。

僕は、自分で農作物を作ることはできません。魚を捕ったりすることもできません。でも、それらを流通させる経済の仕組みについては、少しばかり知識もありますし、それを活かす形で、力になることもできるのではないか。そう考えて、販売を始めたわけです。


福井の食を発信するにあたって、コンセプトを「昭和の食卓」としました。

時代の急流に翻弄されて、見失ってしまった何か‐‐僕はそれを以前「お互い様の心」と表したことがありました‐‐をもういちど見つめ直したい、その鍵を握るのが、昭和中期以前に息づいていたコミュニティ(人間としてのつながり)ではないか、と考えています。

現代の、キレる心や乱れる食卓などへの提言として、「昭和」が見える食卓を、皆さんと一緒に再考していきたいと思っています。

実際のところ、自分でやってみると商売は難しいです。一つ問題を解決すると、その何倍もの問題が吹き出して来ます。会う人ごとに「あんたには商売は向かないよ」と言われます。ところが不思議なことに、そう言ったその人が、暖かい手を差し伸べてくれるのです。有難いことです。商売も仏道修行だと、心にしみる毎日です。

名付け親 山口ちとせさんより  

子供の頃の思い出は、家には山羊やにわとりがいて、育ち盛りの子供は、毎日山羊のお乳」を飲み、朝食にはまだ温もりの残った産みたての卵を食べていました。シジミの殻は砕いてニワトリに、大根の葉は干して山羊の餌に・・・と子供たちは家族の一員として、重要な役割がありました。
家族そろっての晩ごはんの時に、そのお手伝いを褒めてもらい、そしてお腹いっぱい食べ、そしてまた体験を重ねました。
質素だけれど、旬で新鮮、また作り手や携わった人達の気持ちが伝わるモノ。毎日同じ食材で祖母や母は工夫し料理してくれました。
子供の頃の食卓風景を思い返し、「吟味された素材を愛でてほしい。美味しい処には楽しい会話が生まれる。」という思いを込めています。


高木文堂
有限会社ネットウィン 運営
1978年東大法学部卒業後、外務省で15年間勤務(英国研修後、アラブ首長国連邦、外務省本省、熊本県庁、米国に勤務)。ニューヨーク総領事館で働いているときに、夜学でNYUのロースクールに通い、NY州の弁護士資格取得。1994年より4年間、ニューヨークの国際法律事務所(Cleary,Gottlieb,Steen&Hamilton)で金融専門の弁護士として勤務。
1998年に郷里の福井県に戻り、政治活動を始める。1999年、2003年の福井県知事選挙に出馬。2003年の知事選では、組織型選挙対草の根ボランティア選挙で全国的に注目されるも僅差で敗れる。2006年の福井市長選挙に出馬、再度、破れる。この間、1999年に有限会社ネットウィン、2000年に高木ぶんどう外国法事務弁護士事務所を設立。2003年実家の清照寺(真宗誠照寺派)住職就任。2006年4月より、「昭和が見える食卓風景」というブランド名で、越前海産物の販売を開始。