今月の小僧 第5回 なら春子さん
小柄な身体がピアノに向かった途端、大きく見える。鍛え上げられた指が叩き出す音は、まるで大男が弾いているかとまがうほどの量感を持つ。米国のジャズピアニストは概して大柄、その中で、小柄な日本人の女性が本場で通用するということはこういうことなのだと、間近で演奏を聴いて、一瞬身震いするような興奮を覚えた。
ジャズの演奏家であり、自ら曲を手掛ける作曲家であり、週に幾日かはコロンビア大学の助教授として教鞭を取る。そしてもう一つの顔。マンハッタン、チェルシー地区にある彼女の自宅には、ジャズピアノを学ぼうとする生徒たちが訪れる。やってくる人は小さな子どもからおばあちゃんまで十数人。なら春子さんは、誰もが知っているジャズクラブBlue Noteでも演奏するメジャーなピアニストであり、 街のピアノ教室の“先生”でもある。
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子どもの頃からクラシックピアノを習っていた彼女が、ジャズと出会ったのは中学生のとき。たまたま耳にしたFMのジャズ番組がきっかけだ。それまで親しんできたクラシックやポピュラーとはまったく違う音楽に魅かれ、高校生の頃はこっそりジャズ喫茶にも通っていたという。大学時代は学習院大学の学生でありながら、早稲田のモダンジャズ研究会に潜り込んでピアノを習った。
「ジャズ研に入って、2ヶ月ぐらいでステージに上がったんです。まだ3曲ぐらいしか弾けない時分、コードもあまり覚えていないのに、先輩のピアニストの代役として、レストランでいきなり本番。もう無我夢中でね。ボロボロの演奏で現場で涙を流しちゃったり(笑)いろいろ恥をかきながら叩き上げで育ってきたという感じね」
カラカラと明るく笑って話す。ざっくばらんで豪快な気魂、粋で洒脱な人柄、ならさんはそんな印象の女性だ。
「でも、ジャズって自分で試行錯誤してやっていくもの。間違えなければ生まれてこないものもある。だからシロウト時代からどんどんステージに上がったことで度胸や勢いも身についたし、それは後にニューヨークで活動する時のいい糧になったと思う」
憧れだったジャズの本場、ニューヨークの土を踏んだのはそれから間もなくのこと。「ニューヨークに行きたい、っていう願望はずっと持っていたけど、当時はまだ危険なイメージが強かったでしょう。やっぱりなかなか親が許してくれなかったというのもあった」
そこでならさんが目をつけたのが、ロスのUCLA語学研修プラス、ニューヨーク滞在3日間というツアー。ところが、
「3日のはずが3ヶ月になっちゃった(笑)。友人の家に泊まり込んでいたんです。今思えば、親には心配をかけるし無茶したかも。でもあの3ヶ月間は自分では無謀だとか怖いとか何も考えなかったですね」とならさん。
仕事も楽しむことも、やる時は徹底的に、思いっきり、というのが今も変わらない彼女の信条だ。
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その後いったん帰国し、環境を整えて再度渡米。マンハッタン音楽院、ジュリアード音楽院でピアノや作曲をはじめ、幅広く音楽を学ぶ。84年ウィメンズ・ジャズ・フェスティバルでデビュー、99年にはコロンビア大学で音楽教育学博士号を取得した。
思いきりジャズに身を委ね、楽しむためにニューヨークに住んで二十数年、それでも実は“プロになろう”という固い決意があったわけでは決してないという。
「夢中になってピアノを弾き、自分が気持ち良い、好きだと思える音が出たとき、自然に人と出会い、仲間ができ、ステージに上がるチャンスができた。そんなさりげない積み重ねの先に、プロという道が自然に開けていた」と彼女は言う。一一ではなぜニューヨークにこだわったのか。
「そうね。一つは、ニューヨークにいると日本人が持っているような先入観がなくなってくるんです。例えば、年を取ったら相応の格好をしなさいとか、あまり目立ち過ぎないようにとか、暗黙の了解のルールとか…。もちろん日本ならではの細やかで素敵な気遣いもたくさんあるけれど、ニューヨークって、より自分が自分らしくいられる街なんですよ。誰もが“あなたは何をしたいのか”“何が好きなのか”“何ができるのか”そういうことを常に問われ、対峙させられる。自分自身と向き合うシーンが多いから、自分のスタイルを確立しやすいのかな。その分、他人のことも認め、尊重する」
「あと、ニューヨークは最高のものもたくさんあるけど、最低のものもたくさんありますからね。日本からもたくさんの若者がやってくるけど、目的を持って行かないと街に飲み込まれちゃうところがある。なんとなく箔をつけよう、なんて思って住むと自分を見失ってしまうエネルギーがあるんです。それはどこの世界にもないニューヨークならではの文化。虜になるほどの素晴らしさと、醜悪さが常にあって、その対照が街の魅力になっているんだと思う」
危険と隣り合わせの緊張感、人々のふれあい、渦巻くエネルギーと夢、チャンス…。彼女の口から語られるニューヨークはエネルギッシュで限りない魅力に溢れている。たとえジャズを介さなくても、音楽家としてでなくても、彼女は何かのきっかけでニューヨークに出会い、同じように魅せられていたのではないかと、ふと思う。
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ピアノの演奏の傍ら、ならさんがいま夢中になっているのはアフリカの打楽器。西アフリカ諸国で広く演奏されている伝統的な太鼓で、“ジャンベ”や“ドゥンドゥン”と呼ばれるものだ。
「もともとジャズは西洋音楽とアフリカ音楽の組み合わせにより発展した音楽。西アフリカの伝統的なリズムの影響が大きいんです。この辺の分野は大学時代から興味があったんですが、それなら自分でやってみるのがいちばんいいかなと。2年前にちょっとはじめたらすっかりハマっちゃって。太鼓を叩きすぎて手にマメができちゃうぐらい(笑)。ホント、始めたらとことんやらないとダメな性格なんですね」
聞けば、なんとインタビューの数日後には、本場、マリ共和国に2週間の滞在でジャンベを習いにいくという。
「リズムと人間の鼓動がシンクロする心地良さ、そこは確かにジャズにつながるところ。今は太鼓を叩いている時がとても楽しいですね。ジャズと同じように、私が本当に好きな音、心地良いと思えるものをやりたいと思ったら、いまはたまたま太鼓にたどり着いたという感じ。ここからまた新しい世界が生み出せたらいいなと思うんです」
既にニューヨークのBlue Noteでは、ピアノにサックス、フルート、ドラム、ベース、それにアフリカの打楽器を加えたセッションも行った。もちろんならさんが太鼓も叩く。この新しいサウンドはじきにCDとなって発売されるというから楽しみだ。

(左)NY Blue Note でのワンシーン
(右)2006年 東京にて
「最近、団塊の世代の生き方や価値観がクローズアップされているけれど、型にはまることなく、自分の楽しいと思えることをとことんやってみるとか、そういうことでいいんじゃないかと思うんですね。私のジャズの大先輩であり友人であるフランク・ウエスは83歳。フルートとサックスの奏者なんですが、気持ちがすごく若くて一緒にいるととっても楽しい。私の周りにはそういう人が多いんですね。だからそれこそ私なんてまだまだ。ある意味本当に小僧って感じかもしれませんね(笑)」
インタビュアー:下川原和代 / 写真:笠原修一
関連情報
内容(「CDジャーナル」データベースより)コロンビア大学の助教授という肩書きを持ちつつも、現在もなおニューヨークで演奏活動を続ける女性ピアニストの初リーダー作。細やかでいながらも大胆な演奏は、女性ならではの美しさを際立たせている。
なら春子(なら はるこ)Haruko Nara
学習院大学在学中より早稲田大学ジャズ研究会のメンバーとジャズを演奏。その後渡米し、ジュリアード音楽院、マンハッタン音楽院でクラシックピアノと作曲を学んだ後、84年にニューヨークでデビュー。コロンビア大学大学院教育博士号を獲得し、現在は同校で助教授も務めている。ニューヨークを中心に演奏活動、ブルーノート、ブラドリーズ、バードランドなどのジャズクラブの他、カーネギーホール、サントリーホールなど世界を舞台に活躍。レコーディングは、日本では、ポニーキャニオンよりリーダーアルバムの「マイ・フェイバリット・シングス」をリリース。米国内では、ロニー・プラキシコの3枚のCD(Museほか)、またダグ・ホワイトのCDなどで演奏。
小僧comアドバイザリーボードメンバー







