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回り道を楽しむ。 今月の小僧 第10回 佐藤敦子さん

回り道を楽しむ。

仙台の箱入り娘が選んだ、「箱」脱出の方法。

故郷は杜の都仙台。先輩には若尾文子もいるという良妻賢母で有名な女子高に通う佐藤さんは、かなりの箱入り娘だった。そんな状況から飛び出すため地元の大学には進学しないと決め、東北大学にはない「国際関係学」という分野を選び、筑波大に見事合格。東京の近くに住めるという喜びもつかの間、東京ははるか遠いことを知りがっかり。しかし、中学では軟式テニスで県大会優勝、他にも水泳やバスケに熱中するなど体育会系の彼女、ゴルフ部に所属しゴルフ三昧の充実した(?)学生時代をすごすことになる。

「外資系の会社説明会はためになるよ」という国内金融機関の採用担当者の一言が、ゴールドマンへの第一歩。

仙台の県立高校から筑波大へと、いわば日本の受験生の王道を歩んできた彼女。就職にあたり帰国子女でもなんでもない身としては、外資系の企業はエントリー対象にすらなっていなかった。ところが、ある国内金融機関の採用担当者から、「外資の会社説明会はなかなか面白いし勉強になるよ」と言われ、それならと出かけたゴールドマン・サックスの会社説明会で、いわばミイラ取りがミイラになってしまう。国内金融機関の内定を断り、ゴールドマン・サックス東京支社に入社。そのまま17年間ゴールドマン一筋という、外資系金融業界では異色のキャリアがスタートする。

 新卒採用の日本人女子社員初のマネージング・ディレクター。

入社後、投資銀行部門で7年。その後資本市場部に移り、部長を経てマネージング・ディレクターとなる。新卒採用の日本人女子社員でははじめての抜擢だった。当時この肩書きの女性は外資でも非常に珍しく、それが新規顧客開拓に繋がったこともあり、また企業のトップたちと一緒に仕事をするなど、貴重な体験ができた。
2〜3年働いたら海外の大学に留学してMBAを取得し、その後転職をするというのが一般的な時代に、金融に関する勉強は、仕事をしながらでもできる。どうせ勉強するなら金融とはまったく別の分野を選びたいと、あえて留学をせず、仕事を続けることを決意。それが、17年間在籍するという結果になったという。

コンビニついでにポルシェを購入。

入社10年目を迎える頃、NHKの朝のニュースでも取り上げられるような大きなプロジェクトを成功のうちに終了した。NYと東京を毎週往復するという嵐のような半年間を過ごし、プロジェクトが終了したときには抜け殻のような状態になっていた。上司からも“You look like just coasting”(まるで惰性で働いているようだ)と言われてしまう。これではいけないと、貯金していたお金をはたいて長年憧れのポルシェを買うことを決意。「とにかく忙しくて遊ぶ時間もなく、ただ漠然とお金を貯めていたんです。貯金がなくなれば、また頑張って働かなきゃという意欲がわいてくるに違いないと思ったんですよ」。
ある6月の日曜日、すっぴんにTシャツとジーンズ、お財布だけをもってコンビニにお昼を買いに出た。その時ミツワ自動車の前を通りがかり、展示されたポルシェに惹かれてふらふらと店内に入って、いきなり「これ、下さい」といって購入したとのこと。当時まだ女性のポルシェオーナーは数えるほど、しかも30歳そこそこの買物ついでの女性からの注文に、お店の人はさぞ驚いたことだろう。
ポルシェへの憧れは、子供のときに山口百恵の「プレイバックPart 2」を聞いて以来。その後バブル期の大学生時代、いろいろな雑誌で紹介されるポルシェのスタイルや性能にますます魅了され、いつかはポルシェに乗りたいと思っていたとのこと。ひょんなことからそれが現実のものになった訳だ。ポルシェの性能や乗り心地は思い描いていた通り。それは憧れを体感できる素晴らしい車だった。最初の車に7年乗り、今の愛車は2台目。ポル子と呼んで慈しみながら乗っている。

「何かやりたいことができたらやめよう」と思っていたけれど。

マネージング・ディレクターになった後もニューヨーク本店での研修に参加できるなど、社員教育にも力を入れるゴールドマンの中で、その成果を認められ、順調に仕事をこなしていたが、いつかは金融以外の仕事をしたいという思いも持ち続けていた。しかし、毎日早朝から深夜までという過酷な勤務状況の中で、なかなか次に進むべき道を模索する時間すら持てない。そこで、「何かやりたいことを見つけるためには、まず会社を辞めなければ」と、遂に2005年ゴールドマン・サックスを退社。40歳を目前にしての決断だった。人生80年のちょうど折り返し地点。後半生を豊かなものにするには、まだ気力も体力も充実している今こそが、そのタイミングだとの思いもあったとか。
退社後、コンサルティング会社を設立。ゴールドマン時代に培った経験や、出会った人々とのネットワークを活かし、優れた技術や才能を持ちながらも経営に不安のあるクライアントに対し経営のサポートをするビジネスを展開する。一方で、優れた才能を持つ若手への起業支援の第一弾として、エステティックサロンを運営する会社を設立し、2006年青山に「ラ・ブランルージュ」第一号店をオープン。今は、この事業の成功のために最も力を注いでいるとのこと。

「実はゴールドマン時代よりも睡眠時間が短いかもしれません」

今、「一時は音大を目指したこともある」ピアノのレッスンを再開、クラシックバレエ、お料理教室、体育会系ゴルフレッスン、ジムでのウェイトトレイニングなどなど、さまざまな、しかも熱中の度合いが半端でない習い事が目白押しの日々を過ごしている。愛車のポルシェに乗る時間もなかなか取れないほどとのこと。
そんな中、今年の4月からは早稲田大学商学部の大学院にも通うという。テーマは「サービス業のグローバル展開について」。外資系金融機関という、いわば逆の立場に身をおいた経験が活かせるのではないかと期待している。 これでますます睡眠時間が少なくなることは明らか。それでも大学院に行くのは、「ゴールドマン時代、常に結果が一番で、いかにアウトプットを出すかを求められました。まるで脳が骨粗しょう症を起こしたような状態で、これからの半生を考えたとき、何かをきちんとインプットしたいなと」思ったから。
周囲からは異論もあった。確かに回り道かもしれないが、今はそんな回り道も含め、結果を追い求めるだけでなく、仕事をする環境や過程も楽しみたいという。

 体育会系の豪快さと、論理的で緻密な計画に支えられたニューライフ

独立後さまざまなお稽古事にまい進し、会社を二つ起こし、エスティックサロンを経営し、大学院にも通う。コンビニついでにポルシェを買ってしまう豪快さそのままに、体育会系の力強さで、ぐいぐい突き進んでいるように見えるが、一方今のこと、将来のことをきちんと論理的に考えて、計画しているようにも思う。
今、一番力を入れているというエステティックサロンの施術も、最新機器による体内データの取得から始まり、カウンセリングによる的確な施術方針の説明、学術的な裏づけのある最新鋭機器を使った施術そのものなど、これまでのエステティックサロンの、なんとなく豪華で、気持ちよくて、贅沢な気分を味わえて、というものとは一線を画している。そこにも彼女らしさ、論理的で緻密なプロフェッショナルな姿勢が強く現れているように思えて仕方ない。
「年齢不詳の60歳になりたいんです」という佐藤さん。始まったばかりの後半戦、大忙しのニューライフだが、その豪快さと緻密さのバランスの中で次はいったいどんなアウトプットが出てくるのか。しばらく、いやこれからもずっと目が離せない。

今月の小僧

左上:サロンにて
右上:X Scan体成分分析マシーン
下:愛車ポル子と



インタビュアー/写真:堀込多津子

佐藤敦子 さん

佐藤敦子(さとう あつこ)

ラ・ブランルージュ株式会社代表取締役社長。
ゴールドマン・サックス証券会社マネージング・ディレクター、同資本市場本部長を経て、05年、17年間勤務したゴールドマン・サックスを退社し、コンサルティング・起業支援ビジネス立ち上げのため、起業。その一環として、06年5月、「より健康になるために質の高い休養を」をテーマとしたサロン「ラ・ブランルージュ」を東京都港区南青山に開設。

| 小僧comアドバイザリーボードメンバー | 





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