今月の小僧 第17回 緑川美由紀さん

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とかくオーディションというのは、本人が応募するより、周りの人が本人に内緒で応募する方が合格率は高いように思う。彼女の場合もそうだった。
「大学卒業後は母校の体育の先生になる」という希望が叶わず、どうしようかと思案に暮れていた時、母親が内緒で応募したオーディションを受けるように勧められる。トヨタ自動車「プリティ」のイメージガールだった。全く興味もなく、どうせ受かる訳はないと出かけていったオーディション。周りは美人ぞろい、自分は体育大学の学生で化粧っけもない。しかも車のことなど皆目分からず、質問への返答も的外れ。「あ〜これで落ちたな」と思っていたら、なんと2000名の応募者の中から7名のイメージガールの一人に選ばれた。「たぶん、体育大学出身だから体は丈夫だろうと思われたに違いない」と彼女。
もちろん理由はそれだけではないと思うが、それから2年間、全国を回る過酷なキャンペーンを見事無事にやり終えたのは、やはり彼女一人だった。審査員の目は正しかったのかもしれない。たいへんな2年間だったが、社会人としての自分を磨き、仲間と一緒に活き活きと活動できた最良の時間ともなった。
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ちゃきちゃきの江戸っ子のはずだが、物心つく頃には、大塚、西荻窪、八王子と、なぜか西へ西へと移動し、一番長く腰を落ち着けたのは今も住まいのある東神奈川。本人にあまり江戸っ子という感覚はないらしい。
子供の頃から踊りが大好きで、高校を卒業する時にも、とにかく踊りを続けたかった。幼稚園から高校まで通ったミッション系の学校では、先生たちから卒業生が多く行くいわゆるお嬢様学校に行き、その後クラシックのバレエ団を目指したらとすすめられたが、どうもクラシックバレエは自分の性に合わない。もっと動きの激しいジャズダンスやモダンダンスがやりたかった。そこで、日本体育大学の舞踏専攻という2年のコースを選ぶ。モダンダンスの父と言われる江口隆哉氏に師事し、彼のカンパニーの舞台にも立つなど、充実した学生生活を送ったが、2年間ではどうしても物足りない。そこで、学部の3年生に編入し、さらにダンスを続けることにした。
その頃、自分のもう一つの興味にも気付く。舞台公演が続く中、激しく踊るダンサーたちは、疲労や怪我も多い。それでも舞台に穴をあけることはできない。そこで以前から知っていた操体法を、仲間のダンサーたちに施した。無事に舞台に戻る彼らをみてそこに喜びを感じる自分を発見する。どうも人のことを放っておけない。そんなところを江戸っ子気質の片鱗と思うのは、穿った見方すぎるだろうか。
とにかく、真剣に操体法を学び、経験を基にした工夫も加えて自分なりのケア法を確立した。これが後にボディケアのビジネスへと繋がることになる。
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「プリティガール」の後、東京YMCAでのフィットネス講師を経て、社会体育専門学校専任講師を続ける傍ら、二子玉川に新しくできたフィットネスクラブ「アップストゥーディオ」での、プールを使ったフィットネスのクラスを受け持つことになる。20年ほど前のことで、当時水中で行なうフィットネスはなく、全くゼロから考案しなければならなかった。
実は彼女、泳ぎは得意ではないし、ほんとうは水も嫌い。「そんな私が何故?」という思いもあったが、逆に「そういう人でもできる水の中のトレーニング」を考えることにした。基本は2つ。一つはプールの底に足が着くこと。そして顔を水につけなくて良いこと。そしてできたのが「アクアジョイ」と名づけられたフィットネス方法。噂を聞きつけてアメリカのフィットネス関係者が見学に来るほど、フィットネス界では大きな旋風を巻き起こした。その後、テレビ、雑誌、新聞などでも大きく取り上げられ、平成4年から10年ほど現代用語事典にも「アクアジョイ」は掲載された。
この「アクアジョイ」を考案し、多くの人とのネットワークを構築できたことが、その後の彼女にフィットネスからボディケアまで、次々と新しい展開をもたらした。
今では、20名ほどのスタッフをかかえ、自由が丘の会員制スポーツクラブ「リバティヒルクラブ」でのフィットネスプログラムや読売文化セミナーでのダンスクラス、企業セミナー等にインストラクターを派遣するほか、自身もクラスを持ち、プライベートなケアプログラムも実践している。
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「アクアジョイ」で注目を浴びる一方、青山ではダンスクラスも開設。大人向け、子供向け、それぞれのクラスを受け持ち、次第に生徒が増えていく中で、自身のダンスカンパニーも創設。本格的な公演活動も始めた。
ダンスクラスでも、自身のダンスカンパニーでも、レッスンには一切手を抜かない。大人も子供も全く同様に扱う。男子生徒を泣かしたことも、スタジオからたたき出したこともある。ついたあだ名が「鬼の緑川」だった。見た目のしなやかなボディラインや目鼻だちの整った小顔の下に体育会系の素顔が隠されている。
それでも、卒業していった生徒たちとは今でも交流があり、発表会にも遊びに来てくれる。その厳しさが、生徒たち自身のためを思ってのことだということを、みんなちゃんと分かっていたからこそのことだろう。
そんな「鬼の緑川」が、最近はやさしくなったと言われる。本人にあまり自覚はないが、いったいそれが良いことなのかどうなのか、思わず考えてしまうという。ただ、任せられるスタッフが増え、すべて自分が出て行かなくても良い状況ができたことも大きな要因ではないかとも思う。これも、「アクアジョイ」から繋がるネットワークと仲間作りの大きな成果だった。
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「鬼の緑川」は家庭でも厳しかった。一人娘がまだ零歳の時から、母親の力を借りつつシングルマザーとして子育てをしてきた。乳幼児のころは、仕事場にもつれていき、仕事の合間に授乳したり、レッスンが終るまでスタジオの片隅で待たせたりしていた。甘えたい盛りで、つい母親の元に歩き出そうとするのを、きっとにらんで自分の席に帰らせたこともある。女性の多い職場で、生徒たちの理解もあり、なんとか乗り越えられた。
日々仕事に追われる中、その後母親役はいつも一緒に居るおばあちゃんが担うことになる。そこで、自分は父親役に徹しようと考えた。普段はほとんど口を出さず、娘が何か問題を起こした時には、感情的にならず、理詰めで問題を突きつけて、反省を促してきた。
いまは、研究職を目指して薬学系の大学院で学ぶ娘さんの就職活動が気がかりだが、こればかりは本人次第。外から応援するしかない。
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フィットネスやダンスと同時に、操体法を基に独自に考案したボディケアを、スポーツクラブやダンススタジオで実践してきた彼女。2006年には、自身のボディケアサロン「ミュウシャンブル」を開設。スポーツやビジネスでの疲れや痛みを取る「ボディチューニング」を提供している。
それとほぼ時を同じくして、老いた母親の介護が深刻な状況になってきた。90歳になる母親に、いつまでも元気で、活き活きと過ごして欲しいと、ボディチューニングを活かしたリハビリメニューを作り、一緒に運動をしている。残り少ない人生かもしれないが、生かされているのではなく、生きて欲しいとの願いを込めて、子供の頃、母親のツボを押して痛みをとってあげたのと同じように、毎日時間の許す限り母親の傍で過ごすことにしているという。
まさに小僧世代には切実な話だが、彼女はあっけらかんと話してくれる。介護疲れも介護やつれも感じさせない。無理せず、相手のペースに合わせた介護方法と、それに自信をもって臨んでいる証かもしれない。
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就職を控えた娘、要介護の母親、そして会社のスタッフたち。彼女の肩にかかる負担はまだまだ大きいが、夢はいつも胸の中にある。それは、見せるダンスではなく、躍ること自体を目的としたダンスを踊りたいということ。
魂のままに、思いを同じくする仲間と一緒に、自然の中で、自然の力を感じて踊りたいと思っている。
これまで多くの出会いを新しいビジネスや活動のきっかけにし、実現してきた彼女。近い将来、この夢の実現にもきっと素晴らしい出会いがあり、思いが叶う日がくるに違いない。体育会系の底力で。

左上:インタビュー風景
中央上:ダンス公演のステージで
中央下:トヨタ「プリティ」イメージガールの頃
右:「アクアジョイ」掲載雑誌のグラビア写真(本人)
インタビュアー/写真:堀込多津子

緑川美由紀(みどりかわ みゆき)
有限会社ジョイ・ワールド代表取締役。厚生労働省認定健康運動指導士。東京YMCA社会体育専門学校専任講師。フィットネスプログラマー。ジャズ・モダンダンスコレオグラファー。
東京YMCAフィットネス講師をはじめ、多くのフィットネスクラブでアドバイザー、インストラクターとして活躍。90年「アクアジョイ」という新しいフィットネスを考案。メディアで大きく取り上げられる。05年には身体のメンテナンスケア「ボディチューニング」を考案し、企業セミナーや自身のサロン「ミュウシャンブル」を通じて紹介している。







