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ライフスタイル 第23回「今月の小僧」川上喜三郎さん

1984年2月読売新聞夕刊


作品を語る
 ある海外にいる日本人紹介のシリーズが、「光と風 放浪の匠」と題された1回目からスタートした。たまたまその記事を目にした平松には、小学生時代この匠と同姓同名の友人がいた。王立英国建築家協会会員、世界でも屈指の建築専門大学であるロンドンのAAスクール教授というその人は、記憶の中の友人とはなかなか結びつかない。しかし経歴を見ると、子供時代に過ごした町も、父親の職業も友人と同じ。そこで、AAスクール宛に手紙を書き、ロンドン出張の際に電話を入れてみた。
 「プロフェッサー・カワカミ・プリーズ」という呼び出しに答えたプロフェッサー・カワカミは、「思わず、コーちゃんか!と叫んじゃいました」という。「声を聞いてすぐに分かった」。こうして20年数年のブランクは一気に埋まった。

「キーちゃん」は西へ


コーちゃん(平松庚三)と直島にて
 平松がロックアウト中の大学を後に、放浪の旅に向かった先は東南アジア。その後アメリカへと渡った。一方「キーちゃん」こと川上さんが向かったのはロンドン。そこからヨーロッパやアフリカ放浪の旅に出た後、そのまま日本に帰ることなく、ロンドンに残ることを選んだ。
 放浪の旅に出たことは、20数年後の再会まで互いに知らないことだったが、その理由はほぼ同じ、「家族や友人に恵まれ、ぬるま湯に浸かった(温室育ちの)軟弱な自分を鍛える」ということ。
 大学の卒業設計によって得た奨学金を元手に、71年ロンドンで開かれた建築都市シンポジウムに参加することを目的に渡英。その後、ヨーロッパの伝統的建築都市見学の旅に出た。当初1ヶ月ほどの予定だったが、あれも、これもと丁寧に見てまわる内、予定の1ヶ月が過ぎても旅程の4分の一ほどしか消化できていない。ユーレイルパスの期限も切れてしまったので、後はヒッチハイクに切り替えて旅を続けることにした。
 そんな中、興味はヨーロッパの近代建築から、特異な風土や地勢に順応した地中海やアフリカの集落へと移っていく。様々な町や村を巡りながら、日々出会う人々から得られる貴重な体験を重ねる内に、日本に帰って大学院を卒業し、大手企業に就職して安定した生活を送ることに疑問を感じ始める。
 建築は学ぶものではなく、見たこと、体験したことを自分の内に蓄え、そこから生み出されるもの、そのためには自分を常に刺激的で厳しい環境におく必要があると考え、ついに日本に帰ることなくロンドンに残ることを決意。
 数ヶ月間就職先探しに奔走するが、幸運にもロンドン市カムデン区都市建築住宅開発設計局に就職が決まり、シビルサーバントとして集合住宅設計の仕事を始める。

ミッドヒマラヤン


初めての作品
「YELLOW SUBMARINE (1970)」
の設計図面
 イギリス、ロンドンを目指したのは、もちろん建築関係のシンポジウムに出席するためだが、実はロンドンへの憧れはそれ以前からあった。それはビートルズへの憧れでもあり、彼らの歌、特に歌詞の世界に大いに影響を受けていた。「建築家にとって処女作はとても重要。すべての思いをその中に込めるからね」。その思いを込めた作品は、ビートルズの歌詞に触発され、大学時代姉のために設計した「イエローサブマリン」と題された住宅だった。憧れのロンドンで建築の仕事を始められたのも、この「イエローサブマリン」が評価されたからだ。
 彼が集合住宅の設計に参加した当時、イギリスでは非常に質の高い公営住宅が建設されていた。高所得者と低所得者を混在させ、スラムのない、自然な都市環境を作り出すミックスユースプランと呼ばれる都市計画が進められ、公営住宅は、都市の中の低所得者層に住宅を供給することを目的としていた。都市計画の完成度の高さや将来を見据えた計画性に感心し、その大きなプロジェクトを動かす一員に加わることに意義を感じつつも、結局は部分を受け持つことしかできない。次第に<自分の作品>を作ることへの渇望が大きくなっていった。
 そんな中、二次元の紙に切り込みをいれ、折り曲げて作るという紙彫刻を始める。「建築は10%自分でコントロールできればいい方だが、彫刻なら95%は自分でコントロールできる」。彫刻に自分の創作エネルギーを注ぎ込んだ。紙彫刻は様々な表情、構図を持った立体が生み出される、無限の可能性を秘めていた。
 この紙彫刻が当時のAAスクール学長に認められ、81年AAスクールで初の個展が実現する。彫刻家としてのキャリアがこうして始まった。この個展が話題となり、86年日本でも個展が開催されることとなる。そしてこの個展をきっかけに、建築家として、またアーティストとして、日本での仕事のオファーも舞い込んできた。
 最初は、当時東京初台に建設が予定されていた新国立劇場の設計デザインコンサルタントとしての仕事。それ以来、様々な都市開発や大型の公共建築を手がけ、年に3〜4回は日本とロンドンを往復する日々が続いている。現在はロンドン3分の2、日本3分の1という生活。
 ニューヨークとロンドンを拠点に往復する人を、ミッドアトランティックというように、AAスクールの学長曰く、彼の場合はまさに「ミッドヒマラヤン」となった。

自然により近く


丸ビル
「インタラクティブウェイブ(2002)」
 東京丸の内ビルディングの正面入り口を入ると、巨大な木製の波が出迎えてくれる。三次元の、複雑に見えるその造形をよく見ると、屈折しているところをまっすぐに伸ばしたら、同じ長さの木の柱が一列に並んでいるだけのシンプルなものであることが分かる。
 97年から丸の内地区開発プロジェクトの建築デザインアドバイザー、アートコンサルタント、そしてアーティストとして参加した彼の作品の一つ、「インタラクティブ・ウェーブ」と題された、02年の作品だ。
 81年の個展で発表した紙彫刻以来、紙や木、プラスティックやアルミニウム、材質は変わっても二次元の素材から三次元的空間を作り出す、彼の作品に一貫する手法だ。まるで大きな風が流れるように、或いは水面にさざ波が立つように、硬質な鉄とコンクリートのビルディングの壁から、自然の波動すら感じる。
 建築や彫刻を作る上で最も重要な視点は、「自然により近く」ということ。自然の中にあるシステムを、どう解釈し構造的に表現するか、形の持つ真実性や合理性をいかに再現するか。そのためには、常に自然を観察し、自身の中に蓄積していくことが重要という。そして追求すべき究極の自然とは、空気と水と光。
 丸ビルの壁にも確かにそれはあった。そして、彼自身一番のお気に入りが、96年製作のその名も「自然により近く」と題された、海の中の飛び込み台。瀬戸内海に面した広島県瀬戸田町の海に設置された作品だ。この作品の大きな特徴は、ただ飾られてそこにあるだけでなく、実際に利用できること。この町では、毎年この飛び込み台を使ったイベントが開催されているという。子供たちが、そして親たちが、作品を通じてより一層自然に親しむことができるのだ。

70歳になったら

 「デザインに境界や領域はないというのが僕の考え」。これからは建築や彫刻だけでなく、プロダクトデザインにも本格的に進出するという。そして「70歳になったら、ロンドン、東京、ニューヨークにそれぞれ3分の一ずつ住みたい」とのこと。98年にコロンビア大学で開催した個展の際に訪れて以来、ニューヨークに住んでみたいとずっと思い続けている。これは、あるアーティストが70歳になってニューヨークに渡り、その街に魅了されて住みつき、さらに多くの良質な作品を世に送り出したことに影響されたという。
 基本的に都市が好き。ロンドンの内省的な街並みは、創作するのには最適。東京はその勤勉さや技量の高さで、仕事や作品を結実させる街。はたしてニューヨークがどんな刺激を与えてくれるのか、今から大いに楽しみだという。
 デザインの境界だけでなく、国と国の境界をも軽々と越えていく。20代に経験した放浪の旅で見つけた精神は、今もしっかりと生き続けているのだろう。

 「平松くんの素晴らしいところは、その行動力とボーイッシュなアイデア」という川上さんだが、「70歳になったらね」と目を輝かせるその姿に、僭越ながら「いえいえ、あなたも立派な小僧です」という言葉を贈らせていただきたい。


川上喜三郎

インタビュアー/写真:堀込多津子

プロフィール

川上喜三郎

川上喜三郎(かわかみ きさぶろう)

王立英国建築家協会会員。建築家。彫刻家
71年大学院卒業を延期して渡英。4ヶ月に及ぶヨーロッパ〜アフリカ放浪の末ロンドン残留を決意。72年からロンドンカムデン区役所建築設計部に勤務。79年王立英国建築家協会会員となる。81年ロンドンにある世界有数の建築教育大学AAスクールで紙彫刻展を開催し彫刻家デビューを飾る。82年から94年までAAスクール教授も務めた。現在はイギリスと日本で多くの都市開発プロジェクトに参画する一方、多くの彫刻作品が東京オペラシティ等の公共建築や丸の内ビルディング等の商業ビルに30数点採用されている。最新プロジェクトは、大阪駅前の広域再開発事業。



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