第26回「今月の小僧」高原守さん
モーツァルトのテンポでごめんなさい
待ち合わせのホテルのロビーに到着すると携帯がなった。高原さんご本人からで、今近くの郵便局にいるがすぐに行きますとのこと。5分も遅れていないのに、たいへん恐縮して現れた彼は、コンサートのパンフレットで見た、指揮棒を掲げて真剣な表情でオーケストラのメンバーに向かい合うその人とは違い、やさしく、明るい紳士だった。
音楽監督というのは、プロデューサーであり、マネージャー。音楽のことだけを考えていれば良いという立場ではないようだ。この日も、一連のコンサートツアーが終了し、メンバーを成田空港まで見送り、その後ホテルに戻ってアメリカへ送り返す諸々を郵便局から出してきたところだという。思わず「お疲れ様でした」という言葉が口をついて出た。
「さあ、何から話しましょう!?」という感じで始まったインタビューだったが、1時間が過ぎる頃、「今日の私は早口ですね。まだ昨日演奏したモーツァルトのテンポが抜けないんですよ」と言う。なるほど、今日のインタビューはモーツァルトだったのかと、妙に納得。ちなみに、前日演奏されたのは交響曲第4番 ハ長調「ジュピター」K.551だった。
バーンスタインに一目ぼれ
高原さんがNYに渡ったのは、1972年4月。きっかけは大阪万博で来日したNYフィルハーモニーの演奏を聴き、当時常任指揮者だったレナード・バーンスタインに、いわば一目ぼれしたことに始まる。さっそく熱い思いを込めてバーンスタインに手紙を書くと、NYにいらっしゃいという返事が返ってきた。
当時、故郷岡山の大学で音楽教師をしつつ、大学のオーケストラで指揮をしていたが、それらを全部捨ててNYに渡ることを決意。しかし、実際にバーンスタインに師事したのは、約1年後の73年2月。しかも、バーンスタインは何も教えてくれない。ただ彼の指揮を見て学ぶだけ。昔ながらの師匠と弟子の関係だったという。
当然音楽の仕事はなく、アルバイトに明け暮れる毎日だった。ペンキ塗り、芝刈り、レストランなど、さまざまな仕事をやったが、レストランの仕事は3日で辞めた。良く気がつき、人当たりが良い性格は、まさにレストランビジネスにはぴったり。オーナーからも気に入られたが、このままレストランビジネスに嵌ってしまうのではないかという危機感から辞めたという。「何でも夢中になる性格なんです」というが、ここでもあやうく夢中になってしまうところだったようだ。
お金はないけど、たまらなく面白かった
70年代のNYは、不景気で、治安も悪く、決して誰にでも住みやすい町ではなかった。しかし、「毎日が楽しかったですよ」と彼。色々な国の人が、それぞれの国の伝統や文化という背景を持ちながら、他の国のことを知ろうという探究心を持って集まる。まさにメルティングポット。お金はなかったが、そのエネルギッシュな町を歩き回るだけで、毎日がすごく面白かったという。
NYに渡ってからおよそ4年後、ようやく大きなチャンスが巡ってきた。
76年のバレンタインデー。NYフィルのメンバーを中心に構成されたフィルハーモニア・ヴィルトーゾ・オブ・ニューヨークを指揮して、NYタイムズのラジオ局WQXRでデビュー。これが全米で大評判となり、その後このオーケストラの客演指揮者を3年間務めることになる。
79年、いよいよNYSEの前身であるニューヨーク・メトロポリタン室内管弦楽団の音楽監督に就任。その後名称をニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル(NYSE)と改めたが、以来30年近くに渡り、音楽監督兼常任指揮者として、音楽面だけでなく、プロデュース、マネージメント、すべてを取り仕切る中心的存在として活躍を続けることとなった。
寺コンのパイオニアです
「古い木造建築の中でコンサートをしてみたい」という想いがずっとあった。折に触れて話をしていたら、ある時奈良の唐招提寺に案内してくれた人がいた。お目にかかった唐招提寺の長老は、「私の生きている間に、ぜひここで音楽を演奏したいと考えていたが、高原さんがいらっしゃったか」と、お寺でのコンサートを快諾してくれた。
唐招提寺講堂をステージに、その前の庭と金堂の階段に用意された1500席は、たった2時間で完売。今ではポピュラーになったお寺でのコンサートだが、これが日本で最初に行なわれた、いわゆる「寺コン」だった。
その後も、歴史的建造物でのコンサートは評判を呼び、出雲大社、厳島神社、明治神宮など数々のコンサートが開催されている。また、古い木造建築だけでなく、コンサートホール以外でのコンサートはさらに広がりを見せ、大田区にある大田市場や、羽田空港の格納庫、建設中のビルの中、田園調布駅舎など、さまざまなところでクラシックに親しむ機会を提供している。88年、唐招提寺でのコンサート以来、NYSEの公演は20年に渡り続けられてきた。そして来年以降も続いていくという。
アメリカの音楽を紹介したい
日本のクラシック界は、どうしてもヨーロッパ偏重。そんな日本にアメリカ音楽の良さを伝えたいという。「合理的で、分かりやすく、お客様が喜んでくれ、ハッピーになる音」。そんなNYスタイル、NYサウンドを、アメリカの音楽として紹介したいのだという。
それを伝えるためには、「とにかく本気で振らなきゃダメ!」と、それまでにこやかに話していた顔が、きりっと引き締まった。
NYSEには、音楽監督の高原さんをはじめ、世界各国から演奏家が集まっている。そんな彼らが演奏することこそ、アメリカの音楽を体現していることになるのかもしれない。最近とかく閉鎖的なアメリカだが、広く世界に門戸を広げ、大らかで、明るく、夢があふれるアメリカをせめて音楽の世界では感じたいと思うのは私だけだろうか。
「私は回遊魚のようなものなので、泳ぐのは止められない」。これからもアメリカと日本を中心に、多くの人、特に若い人たちに、クラシックにより親しんでもらうために、ずっと動き回り続けるという。
皆さんも、回遊を続ける高原さんに、近い将来きっとどこかで出会うことになるでしょう。ぜひその時をお楽しみに。
インタビュアー:堀込多津子
プロフィール
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高原守(たかはら まもる)ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル(NYSE)音楽監督兼常任指揮者。
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