社長Yusuf
冬の間船を預けておく、トルコのボドルムと言う港の小さな会社の社長Yusuf。
調子の悪かった船舶通信用のラジオは交換の時期が来たと判断して、冬場に新品と交換しておくように頼んで帰国した所、仕事場に持ち帰り調べさせた結果$100程の部品交換で直る、態々新品にする必要は無いとメールで同意を求めてきた。ざっと$1,000は覚悟していたので、彼の真剣な取り組みに痛く感心した。
日本の修理も昔はこの様な職人肌の人が幅を利かせていたように思うが、今は商売第一で、すぐに新品と取り替える事を薦める。家庭内の電化製品も数年経つと買い替えを勧められる。
私は頑として修理して使うことを主張するが、家内は「新しいのが良い」と言ってテレビなど出張修理を受けると馬鹿にならない金額になるので、一踏ん張りして新品を買いましょうという。
修理代が無駄な出費であるかのような印象を与えだしたのは、戦後の外国流消費経済の影響だ。
2004年黒海周航参加の為に北上途中クシャダシの港に向ったが、左舷のエンジントラブルによって道半ばでまともな航行が出来なくなったことがある。
この時もYusufが貸して呉れた携帯電話で、緊急事態を知らせると、すぐに近くの港を指定、2時間以内に車でその港に技術者を派遣するから片肺運転でそこに辿り着くように指示あり。彼の迅速な対応で見ず知らずの港で修理完了、事無きを得て、日没までに目的のクシャダシに入港する事が出来た。
処がここで突然ながら、左舷の舵が破断している事が分かった。愛艇に発生した最大の故障だ。金曜日の事である。
再びYusufに連絡すると同時に、土曜日に船を陸揚げする段取りをつけると、彼は遠路250kmを厭わず技術者を派遣、破断した舵と正常な舵を持ち帰り寸分違わぬ複製を作って月曜日には船を海に戻す事が出来る様にしてくれた。
日曜日を返上した驚くべき早業だ。親身になって緊急事態に対処し、技術力を駆使してこんなことが出来る所は世界中他にはないと感激した。
毎年8月の初めにはこの辺りにいたためしがないが、病後の養生を考えて余り動かない。
ある朝Yusufが大きな花束を持って現れた。ひまわりとガーベラだ。何事だと聞いて驚いた。
「今日は8月6日で広島の日だ。この日は何時もつらい気持ちで過している。いつもと違って今年は貴殿がマリナに留まっているので花を持って追悼の気持ちを表明に来た」「原爆は人類に対する犯罪であり、勝たなければならない戦争だからと言う理由で、これを使用した事をどうしても許すわけには行かない。」
話の声は潤み、その大きな目を見るとたちどころに充血して今にも溢れんばかりの涙が一杯だ。久しぶりに私は気の高まりを覚え、胸が支えてろくな言葉が出てこない。立ち上がって握手を交わし抱き合って彼の人間味溢れる言葉と行為に感謝をした。
他に用事があった訳でもない彼は花を届けに来たまでと言う様に船を降りた。
家内も私も暫し言葉も無く茫然として彼の置いていった花を眺めて異国の人の心を思った。
その後でインターネットのニュースを開いて愕然とする。
この日夏の高校野球の開会式があり、広島代表が式次第の中に原爆の犠牲者の為の黙祷を申し出たが、「それは広島の問題で、全国の問題ではない」との判断が下され取り上げられなかったと言うではないか。数日後確かに朝日新聞から公式の謝罪があったが、「内部の連絡が不充分であった為」と言い逃れて恥の上塗りのような印象であった。
トルコの一個人が目に涙を貯めて哀悼の意を述べる傍ら、同朋日本人はあの悲劇を「広島の悲劇」と受け止めたり、内部連絡が悪ければ誰も思いも着かないような問題に成り下がっているのだろうか。不快と憂いに満たされ、日の丸を掲げているのが恥ずかしいような思いで一日を過ごした。
トルコに長逗留するようになったのは物価が安いとか、景色が美しいとか一般的に言われている事の他に、この社長の支援態勢のあることが大きな理由だ。
だが良く反省すると、加齢と共にものぐさも手伝って、次第に彼のサービスに甘えて、昔は自分でやっていたような簡単な修理も全て彼の部下に依頼する形になってきている。私はもともと新しい挑戦を求めて船に乗ったのに、ラクチンをするような形は本来の趣旨に悖ると自戒している。
東北大学の川島教授の脳生理学でも、便利になったり楽になった分だけ人間個人の能力は退化し、その分前頭葉がどんどん死滅すると指摘している。
Kenanと言う実業家
2003年のエーゲ海ラリーに参加して数名の印象深いトルコ人に会ったが、そのうちの筆頭が、海運会社を経営するこの男だ。まだ50になったばかりだろう。まん丸に太った顔に少年のような笑顔だ。かわいらしい女学生のような奥さんアイシェと仲が良い。
一人娘が最近結婚した。婿をすぐ子会社の役員にして教育に余念がない。商工会議所の活動に積極的で、日米欧の商工会議所との交流にせっせと参加して良く旅行している。博識で、世間を見る目が広い。
イスタンブール在住だが、この近くに夏の家を持っているので、ヨットはボドルムに置いている。
親孝行で、夏には両親をこの夏の家に迎えて、彼は週末毎にイスタンブールから800kmを遠しとせずに奥さんとしばしばやって来る。
飛行機で来るのだが、自分で運転するセスナ機だ。珍しいレストランに招待されて、日本の話を求められる。大の日本ファンだ。年老いた両親は英語が駄目なのに同じ席に招いた時には、私との会話を一生懸命にトルコ語に翻訳している。見るからに親孝行だ。
我々が参加した黒海のラリーは2004年の7・8月に行われたが、これに参加できずに残念がっていた彼はボスポロス海峡を越えた辺りで空から我々を見送ると言う離れ業をやってのけた。
飛行機の操縦技術を見せつけるかのように派手に飛びまわったが、プロの写真家を連れていて、珍しい航空写真を撮ってくれた。
私は感激の余り船を自動操縦に任せて、甲板に出て手を振り彼の見送りを感謝したが、これが写真に収まると、まるで船から助けを求めているような写真になっているので人に見せる度にどうしたのだと笑われる。


1934年中国・奉天生まれ。
一橋大学法学部卒業後、三井物産に勤務。イランの石油プロジェクトなどで活躍。
役員となり、同社中国代表を勤めた後、1995年三井物産を退社。
ベルギー駐在中に芽生えた「夢」を実現するべく、小型船舶操縦士免許、スキューバダイビング上級ライセンスを次々取得。
2000年4月には、フロリダで愛艇「ハイドランジア号」を購入。8月、フロリダより大西洋を経てマヨルカ島に回航。千恵子夫人と合流して、夢のボート生活をスタートさせる。
以後、ボートは現地トルコに保管し、毎年5月〜9月に渡欧して、地中海沿岸を巡航。
2004年には、日本人として初めて黒海6カ国就航に成功した。
小僧comアドバイザリーボードメンバー