雑誌の旅仕事は、スタッフが優秀かどうかに左右される。
ライターとカメラマンだけじゃない。目立たないが、コーディネーターの存在は何より重要だ。しかし海の向こうの人探しだけにアクセスするのはひと苦労。
旅先が決まると、あっちこっちのツテを頼りにメールや電話で連絡を取り合うのだが、ロンドンやニューヨークならまだいい。砂漠の街とか、絶海の孤島とか、そんな状況だと日本人はおろか、日本語を話せるコーディネーターはほとんどいない。
ちなみに、コーディネーターはにわか勉強の旅行ガイドと違って、その土地の歴史や文化に詳しくなければいけないし、老舗の店やレストランはもちろん、政府機関にもネゴシエイトできる能力がないと務まらない。
つまり、協力を依頼するこちらとしては、事の成り行きは彼ら次第。独自のルートがない限り、一度仕事を振ったら、まな板の上の鯉というわけだ。
そんなわけで、アマゾンのコーディネーター探しもてんやわんやだった。条件は、アマゾンのサバイバルに適した人材。大げさに言えば、動植物の生態にも詳しく、万が一の時でも生き残れる術を知っている特殊部隊みたいな人がいれば理想的。
航空会社や大使館、アマゾンツアーを扱う旅行代理店までシラミ潰しに調べて、ようやく、マナウスにある日本人専門の小さな旅行会社からいい返事が返ってきた。
今は世界中どこでもパソコンや携帯が繋がる世の中。しかし、紹介されたアズマさんは電話を持っていなかった。
普通なら、出発前に連絡して意思確認をするのだが、本人の声を聞くには直接会うしかない。待ち合わせ場所まで迎えに来てくれるだろうか、話の通じる人だろうかと、弱冠の不安はあった。
そして約束の日。その不安は的中した。
アズマさんは、はっきり言っておじいさんだった。年は65歳ぐらい。背が高く、色黒で、和製クリント・イーストウッド風の男前だが、その顔にはオリジナルにも勝る深い皺が何本も刻み込まれていた。着古しの白い麻のシャツとズボンはきちんとアイロンがかかっていて、けっこう几帳面な人らしい。ピンと伸びた背筋が、いかにも昭和の男だった。
アズマさんはこちらの説明を聞きながら、最初は人のよさそうな笑顔を振りまいていたが、話が前後しだすと、急に不安そうな顔になった。
「問題ありますか?」と聞くと、「大丈夫です」と答える。
が、どうも怪しい。
時々、ブラジル語でブツブツ言ったりする。もしかして、ひょっとして、日本語忘れちゃった??
アズマさんは戦後まもなく家族とブラジルに移住して、アマゾンの開拓民になった。灼熱の太陽の下で来る日も、来る日も、木を切り倒し、土を耕し、作物の種を蒔いてもなかなか根がつかず、実りはほんのわずか。貧困に喘ぎ苦しみながら、結局日本に一度も帰ることなく、年をとってしまった。娘と息子がいるが、家を出て、今は妻と2人暮らし。
日常生活のほとんどがブラジル語なので、難しい話をされると日本語が覚束なってしまうのだと申し訳なさそうに頭を下げた。
ちょっぴり切ない気持ちになりながら、まぁ、なるようになるさと奮起して旅を始めたが、マナウスの街中でも、ボイブンバの取材でも、彼の手には余る様子。怒るわけにもいかず、アズマさんも自分の至らなさに平身低頭で、しばらくギクシャクした雰囲気が続いた。
ところが、だ。ジャングルに潜入したとたん、アズマさんが突然、豹変した。
「ヤバイ虫とかもいるんですよね?」。
黙々と前を歩くアズマさんに何となく声をかけた時だった。彼は何を思ったのか、足下に生えていた細長い草をちぎって、側にあった巨木の根っこに座り込んだ。地面をキョロキョロ見回し、しばらくして拳一つ分ぐらいの穴ぼこを見つけると、その草を中に突っ込んだり、出したりしている。話しかけても、穴ぼこを凝視したまま何も答えない。
するとしばらくして、手先に何か手応えを感じたらしく、顔をあげて、ニンマリ。しわくちゃの笑顔を見せた。
……草に誘われて、穴ぼこから這い出てきた毛むくじゃらの大きな蜘蛛。
これって、もしかしてタランチュラ? ドヒャ〜、早く言ってよぉ。
恐怖におののく私たちの目の前で、草でつついたり、フェイントしたり、アズマさんにかかったタランチュラは、ほとんど猫じゃらし状態。「噛まれても死ぬことはないし、慣れてるから」と、いたって平然。
ダメ男がスーパーマンに変身!まさに、そんな感じだった。
その後も、喉が渇いたと言えば、大きな長刀で木の枝を切って、中から大量の水を出してみせたり、火が必要な時には樹脂の塊を見つけて着火したり。
ジャングルのことなら任せとけと言わんばかりの活躍ぶりに、正直、役に立たないジイさんぐらいに思っていた私たちは、すっかり、魅せられてしまった。
ボイブンバの騒ぎが終わった頃、パリンチンスの街でアズマさんにお願いごとをされた。
数十年来の友人に会いに行きたいのだという。散々世話になったし、寄り道もいいだろうと、みんなでバイクを借り、その人の自宅を探すことになった。記憶を頼りにようやく見つけたトタン屋根の小さな雑貨店。網戸越しに中をうかがうと、年老いた女性が猫を膝にのせたまま、ソファでうたた寝していた。
「お久しぶりです、アズマです」と彼が声を掛けると、老女はうっすら目をあけ、驚いた顔でヨロヨロと立ち上がった。
アズマさんが慌てて腕を支えると、崩れそうになりながら頬を寄せてハグした。彼女の目には涙がうっすらと浮かんでいた。
アマゾンに移住した多くの日本人が、胸に秘めてきたある思い。
生まれた子供をブラジル人と同化させるために、彼らはあえて日本語を使わず、日本の文化を封じて生きてきた。しかし、時が経てば経つほど、故郷が恋しくなる。忘れてしまうことに恐怖を覚えるようになる。
そして、「アマゾン俳句会」が結成された。季語は、広大なアマゾンの自然や動植物。ワニやタランチュラさえも五七五になる。アズマさんとその老女は、かつて所属していた句会の仲間だった。
「開拓の昔も過ぎしサウダージ」
サウダージは、哀愁。
二度と会えない人や故郷への思慕を意味する、懐かしさともの悲しさが混じった感情。この旅で、私が唯一覚えたポルトガル語だった。
旅の終わり。私たちはセスナでアマゾンの上空を彷徨った。
多種多様な植物の群生。日々繰り返される、圧倒的なエネルギーのドラマ。
しかし、アマゾンは今、確実に衰えつつある。時折りみかける痛々しい伐採の傷跡は、進行ガンのように森のあちこちでゆっくりと広がり、毎日、東京の何倍もの面積のジャングルが消滅していくリアル。
私は、十数年前、世界中のマスコミから発信された一枚の写真を思い出した。
このままでは熱帯雨林が消滅する……92年にリオで行われた地球サミットをきっかけに、本格的な環境保護活動が開始され、アマゾンは全人類の共通財産として、世界の監視下に置かれたのだ。だが、アマゾンの内部に目を向ければ、開拓を拠り所に生きる人たちの存在にも気づく。
先進国に住む私たちは闇雲に環境保護を訴えるが、そこに暮らす人々にも生きる権利がある。自然を破壊することで命を存えている人間の、哀しいかなそれが現実なのだ。
アマゾンはただ、ただ、大きい。人も、虫も、動物も、植物も、すべて飲み込んで、あらゆる営みを静観し続ける。時に荒々しく、時に優しく、すべてに平等に生きるチャンスを与えてくれる。
森を傷つけても、この無尽の豊かさでいつかは再生するだろう。しかし、そのスピードが問題なのだ。自然の寛大さに甘えてはならない。
甘えれば、その分私たちが傷つく。この国に根を生やした日本人たちは、自然のリズムとスピードを知っていた。ゆえに、この森に迎え入れられた。流れに近づき過ぎてはいけない。決して、追い越してはいけないのだ。
灼熱の太陽が、大河の果てで今、燃え尽きようとしていた。流れの中央にまっすぐ伸びた一筋の光が、やがて森全体を覆い尽くし、空と大地を黄金色に染めていった。
あまりにも無垢で、未知な森、アマゾン。
たとえ真理が分からなくても、それを目にするだけでいい。
ここに来た価値があったと、私は思っている。
出版社、広告制作会社、編集プロダクションで、雑誌・書籍の編集、ライティング、広告制作物のディレクション、イベントの企画・プロデュースを経験。会員誌の実績も多く、主なものに、DCカード「ザ・カード」、アメリカン・エキスプレス「インプレッション」、高所得者向け会員誌「バケーション」、コンチネンタル航空機内誌、KLMオランダ航空機内誌、日比谷花壇会員誌「ペタル」などがある。 2004年独立し、2005年有限会社ダイバーシティ4を設立。その後も、雑誌の編集、広告制作物のディレクションを中心に活動。旅の企画も多く、秘境、リゾート、歴史ものなど幅広い切り口で世界中をレポートしている。
写真・水野康夫(Mizuno Yasuo)