わーるどわんだらん!-World Wandering Run
何度も反省を繰り返しているのに、かといってどうにもならないこと。私の場合は、英語力だ。「世界を飛び回る……」なんて紹介されると、怖いものなしのバイリンガルなのだろうと思われそうだが、学生時代に1年ほどイギリスの田舎に遊学したことがあるだけで、今ではレストランの注文が精一杯という体たらく。相手に聞きたいことは山ほどあるのに、いちいち通訳を通すのはもどかしく、戦争体験とか、家族の悲惨な話とか、紋切り型の質問ではすまされないヘビーな話題の時には、微妙なニュアンスがなかなか伝わらなくて苦労している……というのが実状だ。もし、神様がいて、「一つだけ才能を授けてやる」と言われたら、すかさず「英語力」と答えるだろう。そのくらい重要視しているのに、努力もやる気も足らないんだなぁ……と、もはや半分諦めかけている。
はたして、言語力が不十分でも、コミュニケーションは可能なのだろうか? 長年抱え続けているこの難問を突きつけられたのが、ランタ島だった。
クラビからリゾートに向かう道中、船頭さんから妙な話を聞いた。ランタ島の東の端に現地人が誰も寄りつかない、謎の村があるという。タイ語も、インドネシア語も通じず、貨幣生活さえしていない人々が住んでいて、「シー・ジプシー」と呼ばれているらしい。何かの宗教団体か? ひょっとすると民俗学的大発見かも? と思いながらいつものモウソウ竹がにょきにょきと芽生え始めた。
ところで、このジプシーという言葉。ステレオタイプだとフラメンコを思い浮かべるだろうが、実は、差別用語として認識されている。ついでに書き添えておくが、インディアンも、エスキモーも、安易に使ってはならない。できれば、この場も伏せ字にして欲しいくらいなのだが、話がややこしくなるので、今回はお許し願いたい。
いわゆる通念的にいうジプシーは、北インドを起源とする移動型の民族を指す説が有力だが、「エジプトからやって来た人」というエジプト語の語源からは、彼らに遭遇した人間の勝手な誤解によって生まれた言葉だということが分かる。要するに、もともとその土地にいた人にとっては、どこから来たのかも分からない、怪しい放浪者なのであって、当事者たちがいかなる文化を持ち得ていても、余所者は余所者。そこには、迎える側の偏見や差別的な感情が感じられる。実際にヨーロッパのジプシーたちは、今でこそ舞踏や音楽の世界で認められているものの、長い間迫害され続けてきた。あまり知られてはいないが、第一次世界大戦時には、ユダヤ人とともにナチス・ドイツの標的にされ、罪のない多くの人々が殺害された。
話が脱線してしまったが、シー・ジプシーに興味を持ったのは、一方的な見方ではない、彼らの本当の姿を知りたいと思ったからだ。ところが、情報を聞きだそうとして、島の人やホテルのスタッフに尋ねてみても、いい返事が返ってこない。それどころか、迷惑だと言わんばかりに嫌な顔をされる。そこで、ジャーナリスト魂に火がついた。分からないのなら、直接行って、自分の目で確かめてみよう!
ランタ島に道路と呼べる道は、1本しかない。ビーチが広がる西側から海岸沿いを北上すると、そこから先は島の東側までひたすら密林の中。しかも、舗装道路は途中までなので、村まで行くにはバイクを使うしかない。さぁ、どうする?バイクの運転なんてしたことないぞ。
最初は止めなさいの一点張りだったホテルの支配人も、さすがに心配したらしく、レンタルバイクと道案内の現地人を手配してくれた。実は当時、私は車の免許はおろか、バイクも自分で運転したことはなく、ギアの入れ方はその場でカメラマンに教わった。このカメラマンがまた無謀な冒険野郎で(アマゾンでも一緒でした)、危険な状況だと俄然張り切るタイプ。ビビると面白がられるだけなので、不安を隠しつつ出発した。
途中まではなかなか快適だったが、道はどんどんひどくなる。継ぎ接ぎや穴ぼこだらけの舗装道路が途絶えると、あとは土埃を巻き上げながらのダート走行。山道をさらにしばらく行くと、目の前に突然、川が現れた。向こう岸まで10メートル、膝下まで浸かるくらいのせせらぎだ。カメラマンは何のためらいもなくひとっ走り、案内人も後に続いて、私の様子をうかがっている。さすがの私も躊躇したが、あろうことか、どこからともなく村人たちが集まってきて、ヤンヤヤンヤの見物状態。ならば、大和魂を見せてやる!とばかりに、覚悟を決めて一気にブォーン。その場にいたみんなが拍手喝采。やれやれ、だ。
がしかし、順調なのはここまでだった。すっかり調子に乗った私が傾斜30度の崖道を登り始めた時、マシンが突然、クゥーンとパワーダウンした。直後に見えた、青い空……私の体は宙に舞った。顔も体も擦り傷だらけで、バイクのライトも木っ端みじん。大泣きする私にカメラマンが言った。「坂道はシフトダウンしなくちゃダメだって言ったのに……」。

そんなこんなでようやく村に辿り着いたのだが、迎えた方もさぞかし驚いたと思う。高床式の簡素な家の縁側でのんびり寛いでいた村の女たちは、埃と血にまみれた私を見て、目を丸くしていた。説明したくても、言葉がまったく通じない。どうすることもできず、その場で立ち往生していると1人のおばあさんが奥の方を指差した。村長の家に挨拶に行けということらしい。
どうみても、タイ人ではない。インドネシア人ともちょっと違う。あえて言えば、ポリネシア系。上半身裸で現れた村長さんは、以外にも笑顔で応対してくれた。ホテルから連れてきた現地人を通して、片言のタイ語で何とかやりとりしてみる。
「どのくらい前から、この島にいるのですか?」
「分からない。少なくとも曾じいさんはここにいた」
「先祖はどこから来たのですか?」
「………あっちの方(と海の彼方を指さす)」
「毎日どんな風に暮らしているのですか?」
「男は日が昇ると漁に出る。女は炊事洗濯をする。月が出る頃、みんな寝る」
「町には出ていかないのですか?」
「出て行く必要がないから、行かない。町に何かあるか?」
「……。一番大切なものは何ですか?」
「舟だ。新月の夜に新しい舟を出して、みなで豊漁を願うんだ」
「宝物はありますか?」
「ちょっと待っていろ。今、持ってくる」
と言って、村長が家の中に入っていった。再び現れた時、彼が抱えていたのは、ウミガメだった。どこからか拾ってきた小さなバスタブで飼っているらしい。ウミガメの背中をさすりながら、幸せそうに笑う村長。その横で楽しそうに様子をうかがっている奥さんと娘、息子、孫におばあちゃん。実に微笑ましい家族のワンシーンだ。不思議と満ち足りた感じがするのはなぜだろう。
世界にはいろんな人がいる。みんな、その日、その日を一生懸命生きている。言葉は通じなくても、心で感じとれる命の素晴らしさ。思想や価値観が違っても、それさえ気づけば壁は越えられるんじゃないだろうか。ないものだらけの島コ・ランタは、本当の豊かさを教えてくれる島だった。







