100万円ディナーは人生最強の経験
2004年12月。
ホテル西洋銀座に20名のお客様が集まった。一人100万円のディナーをいただくために。ジョエル・ロブションによる18コースのテイスティングメニューと、ロバート・パーカーが100点をつけたワインを中心に20種をいただくというこのイベントで、シェフソムリエをつとめたのが港さんだ。
彼に課せられた役割は、届いたワインの保管・管理から、当日実際にお客様にワインを提供するところまで、パーカー氏が選んだワインに関するすべて。ワインの温度管理はもちろん、グラスの温度管理、料理にあわせた抜栓やディキャンタのタイミング、ワインのテイスティングと提供するかどうかの判断まで多岐に渡る。
1種類3本ずつ用意されたワインがすべて提供するには不適とされたものもあり、100万円お支払いただいたお客様に納得していただくにはどうするか、と素早く的確な判断を求められたこともあったとのこと。 1864年、1870年という19世紀のシャトー・ラフィットマグナムボトル2本、1921年のマグナムボトルのシャトー・デュケム、1953年のダブルマグナムボトルのシャトー・マルゴーなど、4種類のヴィンテージを含む20種類のワインは、いずれも素晴らしく貴重なワインで、それらをすべてテイスティングできたことは、今でも大きな財産になっているという。残念ながら料理は一切食べられなかったが。
スポーツからサービスへ
母親が軟式テニスで全国優勝するほどのスポーツ一家。
港少年も中学時代はバスケ、高校ではテニスと、実力派のスポーツマンだった。高校のテニス部では、いつも10キロ走でダントツの1位。そんなある日雪道で転んで膝に大怪我をしてしまう。かなり深刻な状態でもう競技としてのスポーツは無理と諦める。
その後、軽い気持ちではじめたファーストフード店でのアルバイトで接客業、サービス業の面白さを知ることになる。
高校卒業後専門学校に通いながら、今度はホテルでのアルバイトに応募する。一時はファーストフード店、ホテル、そしてビアガーデンと3つのバイトを掛け持ちしたこともあったが、ホテルの仕事の面白さを知り、やがてホテル一本に。
専門学校を卒業し、子供の頃からの夢だった仕事に就くが、収入にはなかなか結びつかない。そこにホテルのアルバイトでお世話になった飲食部門のトップの方から誘いがあり、そのホテルに就職することを決意する。
VIP向けの個室担当となるが、そこでは料理もお酒もすべてお客様の希望に合わせて推薦しなければならない。まずはお酒の勉強を始める。その後、新規ホテルの立ち上げに参加し、バーテンダー及びソムリエとしてワインの知識とカクテルの知識をもそれなりに身につけた。
そんなある日、ホテル西洋銀座の総支配人から呼び出しを受ける。その人は以前勤めていたホテルの総支配人だった。「どこで自分のことを見てくれていたんだろうと不思議でしたよ」というが、あれよあれよという間に2週間後からホテル西洋銀座で働くことに同意させられていた。
給料の3か月分はすべて日本酒
ホテル西洋銀座には、ホテル業界の一流のプロ、プロ中のプロが集結していた。これまでの経験からお酒の知識もワインの知識もそれなりにはあったが、彼らに比べれば自分はまだまだ下っ端という思いもあった。 そこで、最初の3ヶ月間は、給料の全部を日本酒につぎ込んだ。
家賃も水道光熱費もすべて滞納。着るものも買わず、食事はホテルの従業員食堂だけという生活で、北から南までほとんどすべての日本酒を買い、飲んだ。1000本を越える日本酒の瓶で、飲まなければ床が抜けただろう。 昼間は、お酒に関するあらゆるセミナーに参加し、仕事が終わった後、自宅ではお酒に関する書籍に没頭した。 ホテル西洋銀座にあるお酒もすべて飲んだ。ただし、ワインを除いて。
1900年〜2005年のグランバン制覇
ようやくバーテンダーとして少し自信がついた26歳の頃、いよいよワインを本格的に学ぼうと決意。しかし、目の前に広がるワインの世界の広大さと奥の深さにしばし愕然とする。「世界地図と日本地図の違いですかね」という。
ソムリエの資格もとり、これまでに数え切れないほどのワインを飲んできている今でも、まだまだ分からないことが多い。「できればワインを造っているところ全部に行ってみたい」が、店を持ち、毎日お客様をお迎えするという状況の中ではなかなか難しい。
それでも、「1900年から2005年までの、グランバンと呼ばれる五大シャトーのワインはすべて飲んでいる」という。これは偏に素晴らしいお客様との出会いがあり、そこでテイスティングの機会を得られたことの賜で、世界でも数人しかいないだろうとのこと。
そんな経験も実力も兼ね備えた港さんだが、今のソムリエのあり方には疑問があるという。 今、ソムリエの中には、『ワインとはこういうもの』と、ワインを前にしてお客様を身構えさせ、ワインを高い位置に祭り上げてしまう人が多い。しかし、「ソムリエというのは、ワインがどれだけ楽しく、接しやすいものであるかを、お客様に伝えるのが仕事」で「何万円のワインでも、数百円のワインでも、同様に楽しく飲めるようにお手伝いすること」であるべきだという。
とにかく気軽に、日常の中でワインを楽しんで
「ワイン小僧」では、単にワインを購入するだけでなく、どうやったらワインを楽しめるかを提案したいという港さん。
例えば、ワインの温度にしても、「○○度が最適な温度です」というコメントをつけるだけでなく、そのためには、「冷蔵庫で○時間冷やし、冷蔵庫から出して○○分くらい常温の中に置くと、大体○○度になります」というように、実際にお客様がどうしたらよいかという情報や、ご自宅で飲む時に相性よく楽しめて、簡単に用意できる料理情報などもお伝えしたいとのこと。 「とにかく気軽に、毎日の暮らしの中でワインを楽しんでいただきたいのです」と港さん。
夢は、実際に自分で産地に行って選んだワインを、現地で売られているのと同じ価格水準で日本に紹介すること。そしてカウンターだけの小さなお店で、お客様とワインのことはもちろんいろいろな話をしながら一緒にワインを楽しむことという。
プロフィール

港信之(みなとのぶゆき)
ソムリエ、銀座Wine・Bar・Italian「SPACE」取締役支配人。2004年12月ホテル西洋銀座で開催されたジョエル・ロブションとロバート・パーカー両氏による「ヘドニスト・ディナー」(いわゆる「100万円ディナー」)のシェフ・ソムリエを務める等、数々のイベントで活躍した伝説的なソムリエ。
現在は銀座にある、イタリアンキュイジーヌとワインを楽しめるお店「SPACE」の支配人を務める。
バーテンダーとしても内外の大会で入賞する等、ワインに限らず、シングルモルトや日本酒、焼酎等お酒に関する知識は超一流。実際の作り手との交流も欠かさない。




